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――大橋六段はファッションへのこだわりが有名ですが、揮毫にも見られるように、言葉にも独特のセンスを感じます

「言葉に思いを込めているのはありますね。『耀龍』は理想のイメージを、『龍心洸々』は今年の抱負を。自分の頭の中にあるイメージを言語化するのは難しいのですが、考えて至った言葉ですね。

『龍心洸々』は棋士になって5年、結果を出していくことが求められているのかなと。ファンの方からもそういう応援を感じますし、新たな気持ちで今年1年を頑張っていこうという、私が創った言葉です。龍が好きなんですよ。龍が舞うイメージが。自分の目指す姿というのはありますね」

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――子どもの頃は人前で話すのが苦手だったそうですが、今はとても表現の幅が広がっている気がします

「対局だけでなく、いろんな活動の幅を広げたというのはあるかな。インスタグラムやTwitterを始めて、ファンの方々の反応が目に見える形で現れたり、メッセージをいただけるのは励みになっています。自分としては将棋の魅力を知らない人たちにとって、少しでも入り口になってもらえたら嬉しいです」

――ドラえもんの「どこでもドア」が欲しかったと?

「そうですね、いろんなところへ行ってみたい気持ちはあります。例えばオーロラが見える場所とか、アマゾン、アフリカの方も。小さい頃から自然が好きで、砂漠とかにも興味があったんですよ。高校生のときに語学研修でオーストラリアに行きましたが、大人になってからは海外には行けてないですね」

 

家族は「棋士になりたい」という気持ちを尊重してくれた

 小さい頃から穏やかな性格だったとよく言われる。人前で話すのは恥ずかしくて苦手だった。自然が好きで、夏休みに和歌山の祖父母のところに行くのが楽しみだった。従兄弟とカブトムシを採ったりして遊んだ。

 将棋と出会ったのは、小学4年のときだった。それから、はっきり自分が変われたと思う。

「盤上の戦いに入っていく感覚がとても好きでした。やりたいようにやっていいんだと。個性はもともと持っていたものですが、それを表現できるようになったのは将棋を始めてからだと思います」

 八王子将棋センターに通い始めて、一年半でアマ五段になる。奨励会に入会したのは中学2年のときだった。

 2010年、高校3年の秋に三段リーグに入った。入会から4年でのリーグ入りは早い方だが、予想以上の苦戦を強いられる。

「三段の力がないのに入ってしまったと思った。実力を上げるために、大学には行かない選択をしました。将棋一本でどうやってプロになるか。家族は子どものときからの棋士になりたいという気持ちを尊重してくれました」

 2012年春、三段リーグ4期目を前に、関東から関西への移籍を決心する。

「違う環境で勉強するとどうなるのか。絶対にプラスになると思っていた」

写真=野澤亘伸

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