2012年春、大橋貴洸は三段リーグ4期目を前に、関東から関西への移籍を決心した。

 東海研修会より10歳の藤井聡太が奨励会6級に入会したのは、この年9月だった。

 大阪に移り、当時の奨励会幹事だった阿部隆(現九段)に挨拶するため、関西将棋会館を訪れた。このとき初めて棋士室の扉を開く。大阪では盛んに練習将棋が行われていることを聞いていた。

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「こんにちは!」

 勇気を出して挨拶をすると、雑談をしていた糸谷哲郎六段(当時)と室田伊緒女流初段が気さくに話かけてくれた。

「棋士室は誰でもウエルカムだよ」

 その日からそこで、どれだけの時間を過ごしただろうか。関西若手棋士、奨励会員、今は退会していった人たちと、数え切れないほど盤を挟んだ。

大橋貴洸六段

関西に移籍して4年、三段リーグ表に藤井聡太の名前が

 大橋が移籍した翌年から奨励会幹事を務めた山崎隆之八段は言う。

「あの頃は棋士室に行けば、大橋君がいた気がします。彼はもともと自分をしっかり持っている印象でした。関西に来たのは親の転勤などが理由かと思ったら、将棋が強くなるためだと。関東から三段で移籍してくるのは珍しいので、みんな彼を気にしていたと思います。

 当時、大橋君、池永君(天志・現五段)というのは、すでに四段の実力がはっきりあった。若手棋士や三段リーグの奨励会員たちも、この二人がプロになれないのはおかしいと思っていた。本人たちも手応えがあったはずです。『あと一歩がなぜ上がれないのか』という気持ちが、棋士室での迫力につながっていたのでしょう」

 大橋は同じ勝ち星ながら、リーグの順位差で昇段を逃すこと2回。2015年には三段の成績上位者に出場資格が与えられる新人王戦で、四~六段の若手棋士を相手に準優勝を果たす。

 2013年に富山から大阪に転居した服部慎一郎(現四段・当時奨励会4級)は、棋士室に脚を運ぶと、大橋や池永が盤に向かう姿を見て足が竦んだという。

「最初の2週間は誰にも声をかけることができませんでした。山崎先生に『自分から行かなきゃダメだよ』と言われて、大橋さんに初めてお願いしました」

 級位者の自分では断られても仕方ないと思ったが、大橋は有段者を相手するときと変わりなく、「お願いします」と駒を並べた。服部は言う。

「普段は穏やかな感じですが、盤に向かうと目つきが変わるんです。僕はすごい緊張して手が伸びなかったというか。10秒か20秒将棋が多かったですが、その後も何度も指していただきました」