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 関西に移籍して4年、大橋にとって12期目となる第59回三段リーグ表に、藤井聡太の名前が載った。

「若くて強い子がいると噂になっていたはずですが、私はあまり三段以外の奨励会員のことを知らなかった。研究会で指したこともありませんでしたから」

 大橋が藤井の名前を知ったのは、このときが初めてだという。関西では早くから注目を集めていたが、大橋の意識は三段リーグだけに向けられていた。リーグでは一度対戦し、藤井が勝っている。この期、藤井が13勝5敗、大橋が12勝6敗で四段昇段を決めた。

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「対戦したときは、うまく指されたなという印象でした。この若さでこの強さに驚きました。同じタイミングでプロ入りしたことには、何かの縁を感じています。将棋は勝負の世界ですけれども、それだけでもない。互いに高め合っていければと、常に思っています」

 

 プロになってから棋士室に足を運ぶ機会は少なくなった。公式戦の長い持ち時間に対応するため、早指し中心の練習将棋を減らし、一人で盤の前に座る時間を増やした。それでも将棋会館を訪れたときには、相手を探して指すようにしている。自分を鍛えてくれた場所への感謝を、後輩たちへ返したいと思う。

 服部慎一郎は四段になった大橋に会うと、「おめでとうございます」と声をかけた。大橋の態度は何も変わらなかった。

「ありがとう。また将棋を指そう」

考えることの大切さをプロになってから感じた

――関西への移籍は環境を変えたい意識から?

「あまり東京、関西というのは気にしていませんでしたが、違う環境でやるとどうなるのかなという興味がありました。三段リーグに入ったのは17歳でしたが、強い先輩と対戦したときに実力差を感じて。高校卒業まで力が足りなかった。そこからどう実力を上げていくかを考えていました」

――奨励会在籍は10年、そのうち三段リーグは12期6年。もう少し早く四段昇段できる可能性もあったのでは?

「そうですね、何かやりようはあったかもしれない(笑)。6級から二段までは4年で、これは結構早いんですよ。三段リーグも回を重ねるたびに手応えを感じていました。最後の方は『何度やったとしも、必ず上がれる』という感覚があって、結構楽観しているところがありました。年齢制限から振り返ったら、あと2年でしたか。でも当時はまったく気にしていなくて、それがよかったと思います」

――昇段が決まったときは?

「上がれるとは思っていたので、その先を考えていたのはあります。ただ階段を一つ超えたので、ホッとしました。あと環境がガラッと変わっていくので、そこの楽しみはありました」