観戦記者・池田将之氏が担当した「しんぶん赤旗」の記事によれば、藤井はこの3手前、大橋が決めに出た手を見て、意外そうな表情をして顔を盤に近づけた。「まだ厳密には悪いかもしれないが、流れは来ているかと思った」とコメントしている。その後の8四角はノータイムだった。指された大橋は体を傾け、目元に手を当てたという。このときの胸中をこう振り返る。
「昇段して間もない頃で、勢い重視のところがあった。いや、あり過ぎた。終盤のミスです。持ち時間も1時間以上残していたので、じっくり指していれば……」
まだ勝機は残されていたが、その後の継続手も誤ってしまう。終局後、二人は無言で、投了した大橋の顔には悔しさが滲んでいた。
二人はこの13日後にも再び対戦し、勝利した藤井はデビューから10連勝となった。それまでの新人のデビュー記録に並んだことで、俄然注目度が上がっていく。アベマTVが藤井の公式戦の連勝を中継し始めるのは16戦目からである。
もし初戦で大橋が勝っていたら、と思う。彼のデビュー後の評価・注目度はどう変わっていただろうか。藤井が現在のようにタイトルを獲得する棋士になったのは間違いないと思うが、空前の29連勝ブームはなかった。将棋界が社会に与えたインパクトは違ったものになっていただろう。
棋士になって5年、結果を出していくことが求められている
――藤井聡太四段(当時)との最初の対局は、プロ入りが同期ということもあって、特別な感情はあったのでしょうか?
「あの時は四段になってまだ間もなかったので、自分がプロでどれだけ通用するかという気持ちでした。今後も戦っていく相手として、棋風を知ることも大事だと思いました。藤井さんへの注目度がとても高く、自分では比較したことはないですが、その関連の取材もよくいただきました」
――プロ入りが一緒だったことをどう捉えていますか?
「特に意識していなかったというのが正直な気持ちです。当時は若い人が棋士になったなという感じで。今はタイトルを獲られていますから違いますけどね。藤井さんの名前を初めて知ったのは、彼が三段リーグに入ってきて、対戦表を見たときでした。リーグで対局したときは上手く指されましたし、1期で抜けたことは驚きでした」
――ライバルとして意識する人は?
「自分の場合は将棋を覚えたのが遅かったこともあって、同世代が奨励会でも先を行っていました。ライバルという感じではなかったですね」
――ソフトでの研究に対して、肯定的な部分とマイナスな部分の両方を挙げられています
「私自身は将棋を指すのが好きなのでVSメインですが、AIが思いもつかない手を示してくれると楽しいので、それぞれの良いところを取り入れています。人間の感覚とは全然違いますから。
AIの功績としては将棋界のレベルを引き上げてくれたというのが一番です。一方で新しいものが開発されれば、それに対応していかなければならず、棋士として必要な能力が増えている印象があります」