文春オンライン

「ほっとするような空間がどんどん失われていくのは寂しい」大規模水害が問いかける地方交通のあるべき姿

JR米坂線被災#2

2022/09/07

genre : ニュース, 社会

note

 坂町駅にはかつて羽越本線や米坂線を走る蒸気機関車の「機関区」が置かれ、多くの国鉄職員で賑わった歴史がある。駅舎には「鉄道のまち」と書かれた看板が掲げられていて、駅前ではD51形蒸気機関車の動輪が展示されていた。近くの体育館の敷地内には、機関車そのものも保存されている。

坂町駅近くの体育館敷地内では、蒸気機関車が保存されている(村上市)

 米坂線の沿線は情景豊かだ。鉄路は坂町駅を出発すると、その名の通り暴れ川として知られる1級河川「荒川」沿いに内陸部へ向かう。関川村へ入ると、村の中心部にある越後下関駅などに停車。急峻な山を縫うようにして山形県境へ登っていく。

 そうしたルートの中で、延長2.5km以上の線路が被災したのは、坂町駅を出て最初の停車駅となる越後大島駅がそろそろ近づいてくる地点だ。山からの土砂崩れが相次ぎ、線路を埋め尽くした。

ADVERTISEMENT

湖畔を線路が走っているかのように見えるが…

 崩落で山肌がえぐれ、谷のようになった場所では、レールが宙づりになったり、破断して折れ曲がったりした。

 耕作地に水がたまり、湖畔を線路が走っているかのように見える箇所もある。

半ば埋もれた鉄路。土砂崩れでできた「湖」の横を走る(坂町-越後大島間)

 米坂線をここまで破壊したほどだから、関川村内の被害も甚大だった。鈴木さんに案内してもらった。

 まず、湯沢の温泉街を訪ねた。

 坂道を泥まじりの激流がザアザアと音を立てて下る動画がテレビなどで報じられたので、見た覚えがある人もいるのではなかろうか。

 この動画は温泉街で唯一の旅館の宿泊客が撮影した。撮影時刻は8月4日午前1時43分である。

 その時の様子を、60代の女将が思い出すだに恐ろしげに振り返る。

「動かせる状態じゃありません。親方の車も私の車も流されていきました」

「あの日は旅館の1階で寝ていました。目が覚めたのは雷がすごかったからです。玄関から外を見ようとして驚きました。既に道路が濁流になっていて、今にも屋内に入ってきそうでした。慌てて玄関の鍵を締めて、2階の客間に上がりました。工事関係者が4人で連泊していたので、戸をドンドン叩いて起こしたのです。工事で使う車を外に止めてありましたが、もう動かせるような状態ではありませんでした。2階から見ていたら、親方の車も、私の車も流されていきました。

 私は1階から薬と翌朝の食事用にパンとマーガリンと牛乳を持って2階に上がりました。こんな時に朝食が気になるなんて、後で考えたら馬鹿みたいでした。濁流は泥だけでなく、山から木を運んできて堆積させます。そのうち玄関を突き破り、下足箱をもぎ取って、反対側から流れ出ていきました。浸水が1階だけで済み、けが人が出なかったことが不幸中の幸いでした」

 周囲は泥が窓などを突き破った住家ばかりだ。

 水が引くと、道路には分厚い泥がたまっていた。重機で集めると、小高い山になった。これをダンプで運び出す作業は、8月が終わろうという頃も続けられていた。