教育もしつけも自然体だった父親としての晋太郎
主人は子どもの教育にもしつけにも、そううるさいことは言いませんでした。もっぱら自然体ということのようで、親のふだんのものの考え方、行動から、子どもは受け取るべきものを受け取るという姿勢だったのです。ただ「人に迷惑をかけるな」「人をだますな」「人の悪口を言うな」「男は自分で決めてやれ」ということは、わりときびしく言っておりました。
もっとも、こういうこともございました。子どもたちが中学から高校ぐらいになりますと、クラブ活動などでだんだん帰りが遅くなります。たまに主人が先に帰りますと、
「まだ帰らないのか、こんなに遅くまでなにをしているのか」
と、きびしい口調で申しますから、
「わたくしはいつもやかましく言ってますから、たまにはあなたがおっしゃったほうが、効き目があるでしょうから、今日は帰ってきたらしっかり注意してくださいな」
と頼むのですが、いざ子どもが帰ってくると、豹変して、
「お、帰ったか、小遣いは足りているか」
になってしまいます。
物心ついたときには「総理の孫」
政治の道の跡継ぎとしての晋三は、主人が、安倍寛と岸信介の信念に生きる芯の強さというものを見てきたように、安倍晋太郎のことはもちろんずっと見てきていますし、安保のときの岸信介のようすも子どもながらに見ております。安倍寛の血といい、岸信介の血といい、なにかのときには命がけで事に当たるというきびしさは、ものの本で読んだというのとはまた違って、身近な空気として体得しているということはあると思います。その覚悟ができていて政治の世界に飛び込むのですから、わたくしに異存があるはずもございません。
ただ、主人が幼時から育ってきた体験にくらべ、物心ついたときには「総理の孫」として育っていた晋三には、まだまだこれから何事にも初めて知ることが多いはずで、それが、わたくしの案じているところなのです。