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「いくら絵が上手くても…」やってしまいがちな“現実主義的なアドバイス”で子どもの何が摘まれてしまうのか?

『子育ての「選択」大全』#3

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 小さいころから毎日習い事を詰め込んだり、思春期の子どもを受験勉強や部活で追い込んだりしていたら、ぼーっとする時間がもてません。ぼーっとする時間が足りないと、自分軸も確立できないのではないでしょうか。それはとてももったいないことだと私は思います。

 さらにはありのままの自分を認めてもらう経験を豊富にすることで、自然に、自分軸は太く強くしなやかになっていくのだと、私は思います。

「そんなことをいくらやっても食えるようにはならない」と言って純粋な興味の芽を摘んでしまうのは…

 ありのままを認めるとは、未熟な部分や欠けているように見える部分をも含めてそのひとの全体を愛おしいと感じることです。ちなみに、自分で自分自身のありのままを認めることができることを、俗に「自己肯定感が高い」と表現するのです。自己肯定感が高いひとは、他者をありのままに認めるのも得意です。

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 ぼーっとしていてもいい、未熟な部分や欠けているところがあってもいいという話をしてきましたが、ましてや、せっかく子どもが何かに興味を示しても、「そんなことをいくらやっても食えるようにはならない」などと言って、子どもの純粋な興味の芽を摘んでしまうことはとてももったいないことです。

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 たとえば「いくら絵が上手くても、ピカソやゴッホになれるわけがあるまいし、食ってはいけないよ」という一見“現実主義的”なアドバイスが昔からあります。でもそれは、荒れ野をたった一人で生きていこうとする、非現実的な発想に根ざしたアドバイスです。

 絵が上手いというスペシャリティーを生かして生きていく方法は、なにも画家になったり漫画家になったりするだけではありません。たとえば農業のスペシャリストとスポーツ科学のスペシャリストと人工知能のスペシャリストと、絵のスペシャリストが手を組むことで、イノベーションが起こるかもしれません。

 一つのプロジェクトが終われば、チームは解散です。でもそこで得た経験も新しい魅力にして、また別の新しいチームに加わればいいのです。それが前項で説明した「(3)自分にはない才能をもつひととチームになる力」です。これがあれば、いつもどこかのチームに加わって、仲間と手を携えて生きていくことができます。一人で生きていくよりもよほど生存確率は高まります。

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