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「いくら絵が上手くても…」やってしまいがちな“現実主義的なアドバイス”で子どもの何が摘まれてしまうのか?

『子育ての「選択」大全』#3

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 子育て講演会で「子どもの興味関心を大切に見守れとおっしゃいますが、スマホやゲームをずっとやっていても、見守っているのがいいのでしょうか」と質問されたことがあります。とてもいい質問ですよね。私はこう答えました。

 「スマホやゲームがその子にとって本当に興味・関心の対象ならずっとやらせてもいいと思います。でもスマホやゲームに魂を乗っ取られて惰性で時間を消費しているだけなら、ほかにもっとわくわくするものを提示するなどして、救い出してあげなければいけません。違いはどこでわかるのか。目を見てください。スマホやゲームに前向きな興味・関心をもって取り組んでいるときは、目が輝いているはずです。それならその延長線上で、もしかしたらプログラミングに目覚めたりゲーム音楽の作曲に目覚めたりするかもしれません。でも、魂を乗っ取られているときには目が死んでいるはずです。そこで判断してください」

「難しいのは、目の輝きにも本物の輝きとメッキの輝きがあるということです」

 難しいのは、目の輝きにも本物の輝きとメッキの輝きがあるということです。たとえば遊園地でジェットコースターに乗れば、誰でも興奮して目が輝きます。でもそれはむりやり興奮させられたメッキの輝きです。ゲームをやっていてもときどきメッキの輝きを見せるだけなら、ゲームに本当の興味・関心を向けているわけではないと考えていいでしょう。

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 本物の輝きがどんな輝きか、確信がもてなければ、ぜひ親子で、自然の中でたき火をしてみてください。信頼できるひとと静かにたき火を囲んでいると、子どもの目は輝き、体が躍動し、心が安寧を感じているのがわかるはずです。

 そのときの子どもの目の輝きが、本当の輝きです。

 その輝きを忘れないでください。幼い時期だけでなく、思春期になっても、青年になっても、大人になっても、その子が自分の進むべき方向に向いているときには、同じ目をします。

 子育ての選択において迷うことがあれば、最終的な決断は、子どもの目を見て行ってください。たき火をしているときと同じ目の輝きをしているときの視線の先が、その子が歩むべき方向です。

 これが、VUCA時代の親に必要な7つめのリテラシーです。いや、だから、VUCAとか実は関係ないんですけどね……。

「いくら絵が上手くても…」やってしまいがちな“現実主義的なアドバイス”で子どもの何が摘まれてしまうのか?

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