「『推し』に救われたという経験は、「推し」が自分に直接なにかしてくれたということではありません。「推し」によって自分がなにかに気づいたり、自分がなにかできるようになったり、自分をとりまく世界のとらえ方が変わったということなのでしょう」
そう語るのは、愛知淑徳大学心理学部教授の久保 (川合) 南海子さん。ここでは、アイドルやアニメキャラクターなど様々な対象を「推す」行為を、「プロジェクション・サイエンス」と呼ばれる最新の概念で説明した久保さんの著書『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』(集英社新書)より抜粋して引用する。(全2回の1回目/後編に続く)
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「腐女子たちのやっていることは、プロジェクションなんだね」
私が「プロジェクション」という言葉をはじめて耳にしたのは、2016年の日本認知科学会の大会から夫が帰ってきた後でした。なにかのおりにふと、夫が「あなたのような腐女子たちのやっていることは、プロジェクションなんだね」と言ったのです。唐突に、よくわからない用語で腐女子について納得されたので、とても面食らいました。
ちなみに「腐女子」とは、男性同士の恋愛(ボーイズラブ:BL)を描いたマンガや小説作品を好む女性たちのことです。彼女たちはしばしば、既存の物語(男性同士の恋愛要素は皆無)を、男性同士の恋愛物語として読み替えて楽しみます。
それを聞いた私は「プロジェクション・マッピングが腐女子とどんな関係があるの?」と、勘違いする始末。プロジェクション・マッピングとは、空間や物体に映像を投影して重ね合わせた映像にさまざまな視覚効果を与える技術で、本書のテーマであるプロジェクションとは違います。私はその頃、まだ認知科学会に入っていなかったので、プロジェクションについて、まったく知りませんでした。
プロジェクションとは、2015年に認知科学の鈴木宏昭先生によって、はじめて提唱された概念です。鈴木先生は、「プロジェクションとは、作り出した意味、表象を世界に投射し、物理世界と心理世界に重ね合わせる心の働きを指している」と説明しています。つまり、こころと世界をつなぐ働きをしているものとして、プロジェクションという概念を「発見」したわけです。
人間は、自分をとりまく物理世界から入力された情報を受けとり、それを処理して、表象を作りだします。それは人間にとっての意味となります。けれどこのような情報の受容と表象の構成は、人間のこころの働きの半分でしかありません。もう半分では、作りだした表象を物理世界に映しだし、自分で意味づけた世界の中でさまざまな活動をしているのです(図2)。この一連のこころの働きが、プロジェクションです。
プロジェクションを詳細に説明しようとすると、とにかく至極あたりまえのことからお話しすることになってしまいます。なぜなら、こころと世界がそのままつながっていることはあたりまえだと誰もが思っているから。でも、そのままがあたりまえではない時もあるとわかると、人間の不思議なこころで彩られている世界の新たな姿が見えてきます。
プロジェクションの説明のために、まず基本的な枠組みなどをお話しするよりも、とりあえずプロジェクションの実例として、いくつか「推し」をめぐるファン行動を見ましょう。なぜなら、「推し」を推すこと、すなわち対象への働きかけは、プロジェクションの「こころと世界をつなぐ働き」そのものだからです。