私がこの番組を観てもっとも興味深かったのは、AI美空ひばりを実際に目の当たりにしたゆかりのある人々やファンたちが、涙を流して感動していたことです。誰もが、これは本物の美空ひばりさんではない、とわかっています。作りあげられた映像と音声なのだとしっかり理解したうえで、なお激しくこころを揺さぶられていることに、とても驚きました。
これは、美空ひばりを知らない人にとっては、とても奇妙な光景でしょう。その人にはこの映像は、よくできたCGだな、くらいにしか思えません。実際、美空ひばりを知らない私の子どもの感想はそうでした。けれど、偽物であるCGに震えるほど感動できるのは、見ている人がそこに本物の美空ひばりの面影を重ねるという働きかけをしているからです。たとえばこれも、プロジェクションです。
リビングから悲鳴…「宇宙人かと思った」
もちろんプロジェクションは「推し」だけに起こるわけではないので、違う例もあげましょう。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがあります。幽霊だと思って怖がっていたものをよく見ると、風にゆれる枯れすすきであった、という意味です。よくわからないので薄気味悪いと思っているものでも、その正体をたしかめてみると、実は少しも怖いものではないということをあらわしています。
ある朝、リビングから子どもの悲鳴が聞こえたのでなにごとかと駆けつけたら、部屋の隅にある折りたたまれたキャンプ用のチェアに驚いていました。休日に使おうと思って、前夜、子どもが寝た後に物置から出しておいたものです。雨戸が閉まっていて薄暗いリビングの片隅に見慣れないものがあり、子どもいわく「宇宙人かと思った」とのこと(下の写真参照)。
その発想に思わず爆笑しそうになりましたが、本気で怯えていた子どもの手前こらえて、チェアを広げてみせ「大丈夫、これはイスだよ」と説明しました(図3・下)。広げられてみれば、子どもが見慣れたイスです。なあんだ、と恥ずかしそうにホッとしている様子を見て、これがプロジェクションだなと思いました。
幽霊も宇宙人も、見た人自身が枯れすすきやたたまれたチェアに、幽霊や宇宙人のイメージを映しだしているから存在するわけです。そのイメージが映しだされなくなったら、もう目の前には幽霊も宇宙人もおらず、枯れすすきやたたまれたチェアがあるだけです。
ちなみに、宇宙人の話には後日談があります。子どもの反応をおもしろがった夫は、それから何回か、薄暗い部屋に折りたたんだチェアを置いて子どもを驚かそうとしました。しかし、もう子どもはまったく怖がらず、むしろ鬱陶しそうに無視されるチェア(と夫)。子どものなかではもう二度と、宇宙人がチェアに映しだされることはなかったのです。とはいえ、またいつか、別のなにかに、なにかが映しだされて驚くことになるのでしょうが。
いかがでしょう……プロジェクションについて、なんとなくわかってきたような気がしますか? 最初、建物などに映像を投影するプロジェクション・マッピングとは違うと説明しましたが、むしろ似たようなものと考えたほうがわかりやすいかもしれません。映像/面影やイメージを、映画のスクリーンのようなフラットなものでなく、そこにある「既存のもの」に映しだす、ということであれば、それらはほとんど同じと言っていいでしょう。