「そんなことを言われたので、『もういいです。私らで探します』と言ったんです。そんなやりとりを聞いていた教頭先生が出てきて、『そういうわけにはいきません。3班に分かれて探します』と言いました。周囲には小さい公園が10ヶ所くらいあります。そこを手当たり次第探すことになりました」(同)
しばらくすると、学校から母親の携帯に「大変なことになっています。今、救急車が行きましたから」という電話があった。ヨウヘイさんが自殺を試みたことがわかった。ただし、学校は当初、具体的な場所を把握していない。
「救急車も場所がわからないでいました。その後、10分か15分してようやく見つけたのです。どうやら、発見したとき、木にかけたロープで首を吊っている状態だったのですが、その状況を救急にちゃんと伝えていませんでした。電話をした後もそのままにしていたんです。1分1秒を争います。(住宅地内の公園だったので)近所の人に道具を借りてロープを切ることもできたはずですが……」(同)
公園は小さい頃、よく遊んでいた場所だったという。
通夜や葬儀の際、学校側の参列を断っていたが…
「使用した木は小さい頃、よく登った木でした。練習着で学校からそのまま帰宅することになっていましたが、その練習着のままでした。それにその日に初めての靴を履いていました。その近くにカバンや帽子が落ちていました。使ったロープは、野球部が倉庫として使っているコンテナの中にあったネット補修用のものでした」(父親)
ヨウヘイさんの発見前に「指導があった」ことを聞いていた両親は、その指導が原因ではないかと当初から思っていた。そのため、通夜や葬儀の際、学校側の参列を断っていた。
「ただ、断っていたのに、教育長が入ってきたのです。『誰かのお父さんかな?』と思いましたが、記帳の内容を見てわかりました。このとき、教育長は『調査はもう終わった。裁判でもなんでもどうぞ』と、親族に言ったようですが、のちに確認したところ発言を否定しました」(同)
ヨウヘイさんの自殺をめぐっては、市側が12年12月5日、調査委員会を設置した。13年6月10日、調査報告書案を遺族に提出した。案では「事情等が複雑に関係しており、その一部だけが決定的要因になったと特定することは困難」とする一方、「自殺の発生が一連の指導と関連性を有するのは明らか」というものだった。