文書提示命令の申し立てが確定後、ようやく資料の一部が開示
遺族は事実経過をはっきりさせることなどの改善を要望した。しかし、調査委は、根拠や過程を示すなどの説明義務がないし、遺族はその請求権がないとして、要望は受け入れられなかった。遺族は調査委の報告書を不服として、12年8月、東広島市長に再調査を要望する手紙を出した。また文部科学省へ陳情した。市議会にも陳情し、市議会文教厚生委員会に参考人として出席した。陳情による再調査は不採択になった。
また、生徒指導が問題となっているものの、いじめ防止対策推進法に準じた再調査の請願書を市議会に提出したが、やはり不採択となった。
そのため、遺族は15年4月8日、証拠保全を行い、6月11日に提訴した。提訴から7年、ヨウヘイさんが死亡してからは約10年が経つ22年8月、ようやく証人尋問になった。
時間が長引いたのには理由がある。裁判で東広島市が提出した証拠は、調査委の報告書と、ヨウヘイさんの野球ノートの写しの1ページ、関係した教員4人の陳述書のみで、その他の証拠の提出を拒んだ。そのため、本裁判とは別に、証拠保全の申し立てや個人情報不開示処分取消請求、文書提示命令の申し立てなどをおこなっていたのだ。そして21年6月3日、文書提示命令の申し立てが最高裁で確定。資料の一部がようやく開示された。
争点となっている指導は2回。12年10月5日と10月24日だった。ただし、1年次に行われた指導も影響している。
7時間に及ぶ指導と終わらない反省文
1年次の11年11月4日、ヨウヘイさんは教諭への暴言を書いたとして、別室で個別指導が行われる第3段階の特別指導の対象になった。総合学習の時間に「最近、カメムシが増えて洗濯物につく」「ぶっ殺す」などとアンケートに書いていた。どうしてこれが「暴言」となるのか。
「自宅付近ではカメムシが発生していたんです。そのことだと思うのですが、生徒の間で『カメ』と言われていた先生がいたようです。アンケートに書いたことがその先生に対する暴言で、問題行動とされたのです。息子は先生に対する暴言とは認めなかったようで、別室で7時間も、事実確認をされたようです。
その日の18時ごろに学校から電話があり、『指導室に入ってもらうことになる』とのこと。私は学校へ行き、指導室へ行きました。入ると板の衝立で仕切りがされ、少し狭くなっていました。そこで、指導主事の先生が、学校の規定に反するとして、“判決”のようなものを読み上げたのです。そして、『明日から特別指導を始める』と言っていました。ちなみに、問題となったアンケートは、息子が亡くなったあとに見せられました」(母親)