今年は8月に1軍昇格後、格段に制球力がアップし、先発で好投が続いた。とはいえ、完全復活と判断するには時期尚早だ。来年1年間、先発ローテーションを守り、制球力への自信を確かなものにした後のMLB挑戦が無難に映るのだが…。
「岡田さんは評論家としても歯に衣着せぬ発言で、阪神の選手に対しても厳しかった。これが同じチームで監督と選手の関係になればどうなるか、藤浪にも容易に想像できる。(岡田氏とともに新監督候補に挙がった)平田(勝男)2軍監督なら気心が知れており、藤浪は日本でもう1年はプレーしてメジャーを目指したかもしれない。前倒ししようとしている感は否めない。後は球団が岡田さんの意向を聞いた上で、ポスティングを認めるかどうか」(前出の元監督)
西と岡田氏の関係は修復不可能
西に至っては岡田氏との関係は「修復不可能」とさえ囁かれる。11年前の“事件”があるからだ。
西がオリックス時代の11年7月の楽天戦、西は先発したものの立ち上がりから低調だった。これに対して、当時の岡田監督は「準備不足」と叱責し、2回を投げ終えた後に前代未聞と言える試合中のブルペンでの投球練習を命じたのだった。試合でも8回まで120球を投げさせた。「しょうもない投球してるからブルペンに行かせたんや」と岡田監督に悪びれる様子はなかった。
「肉体的にもそうだが、精神的にこれだけ追い込むと、一歩間違うと投手生命を絶ちかねない。懲罰で球数を多く投げさせた点では金本監督に重なる。将来のエースだからと期待の裏返しだっただろうが、反骨心ではなく反発心に火が付いてしまう今の選手には馴染まない指導法だった」(前出の元監督)
確執のタネはこれだけではない。西が19年、国内FAでオリックスから阪神に移籍した時のことだ。
「岡田さんは西を『去年(18年)は10勝13敗やろ。10勝って13負けるなら、3勝0敗の投手の方がええやろ』とこき下ろした。西は確かに負けが多い投手だが、オリックスでは5度も2桁勝利をマークしていた。阪神での4年間もほぼローテーションを守り通し、投手陣でエース格となった。でも、岡田さんの監督内定報道が出た時、これで西の移籍は決まったと思った」(阪神球団職員)