アーサーのような存在は、マイノリティともマジョリティともつかない、ある種の曖昧な存在であり、境界的な存在であると言える。
こうした曖昧で見えにくく、境界的な弱者性のあり方こそが、現代社会の問題点の最前線(の1つ)なのではないだろうか。
マジョリティでもなくマイノリティでもなく、あるいは(1%の超富裕層が99%の多数派を支配すると言われるときの)1%でもなく99%でもない、「残余=無」(スラヴォイ・ジジェク)または「残りのもの」(ジョルジョ・アガンベン)としての現代の弱者男性たち……。
弱者男性は誰と戦うべきなのか?
2021年10月31日午後8時頃、住所不定無職の24歳の男が、走行中の京王線の中で70代男性の胸をナイフで刺し、ライターオイルを車内に撒いて火をつけた。その男は「バットマン」シリーズのジョーカーのコスプレをしていた。
その日はハロウィンであり、犯行前に渋谷の群衆の中を歩く男の姿が監視カメラに記録されていた。男は犯行後、自分の姿を衆人に見せつけるように、車内のイスに座って、右手にナイフを持ちながら、震える手でタバコを吸っていた。
容疑者の男によれば、京王線の事件は、8月6日の小田急線内で発生した刺傷事件に触発されて起こしたものだという。その日、36歳の男が小田急線内で乗客を切りつけ、男女10人が重軽傷を負った。
「幸せそうな女性を見ると殺したくなった」と男が供述したことから、事件は女性に対するヘイトクライム(差別意識に基づく犯罪行為)、あるいは「フェミサイド」(女性虐殺)として報道された。実際に犯行当日、男は新宿区の食料品店で女性店員に万引き行為を通報され、その腹いせとして、女性店員の殺傷を計画していた。
京王線の事件が起こった日は、ハロウィンの日であるのみならず、第49回衆議院議員総選挙の当日でもあった。犯行が行われたのは、その選挙速報と特番が流れていた時間帯である。
選挙結果をめぐってメディアでは、ポピュリズム(世界を「エリート・特権階級」と「大衆」に二分し、真の大衆の権利を守るという名目のもと、エリートや知識人が象徴する既存の秩序や体制に批判的・破壊的であろうとする政治的立場のこと)的な手法を戦略的に用いる日本維新の会の躍進が告げられていた。
かつてぼくは『非モテの品格──男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書、2016年)という本の中で、男性の弱さの問題、あるいはインセル(非モテ)の問題を扱ったことがある。
Incel(インセル)とは何か?