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プレハブの仮駅舎を出ると、すぐ隣に見えるのは…

 大館駅のプレハブ仮駅舎を出ると、すぐ脇に見えるのは貨物の駅だ。いまどき鉄道の貨物輸送というと、大都市などの物流拠点に大きな貨物ターミナルがあるくらいだ。大館のような、人口7万人にも満たない小さな町にも貨物駅があるというのはなかなか珍しい。

 その貨物駅の隣には、小坂鉄道というローカル私鉄の駅もあった。1994年に旅客営業を廃止し、2009年には路線そのものもなくなってしまったが、いまもその廃線跡が線路もそのままに残っている。秋田犬の里は、その小坂鉄道の広大な駅構内の跡地の一部を再利用してできた施設なのだ。

 小坂鉄道の役割は、大館の東の山の中にある小坂鉱山の鉱石輸送にあった。加えて1985年までは花岡鉱山の鉱石を運ぶ花岡線という路線も通っていた。つまり、大館の中心市街地から長木川を隔てた大館駅前の一帯は、かつては鉱石輸送の拠点となる町だったのだ。

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領土奪い合いの舞台になってきた「大館」。その理由は…

 大館は、こうした鉱山に加えて秋田杉などの森林資源にも恵まれており、古くから領土奪い合いの舞台になっている。たとえば、戦国時代には津軽氏・南部氏・安東(秋田)氏がたびたびぶつかっている。江戸時代には久保田藩佐竹氏の領域に含まれるが、南部氏盛岡藩との境界に近く、鹿角ではそれを巡る争いも生じている。

 つまり、いまの都会の人の感覚では単なる田舎町ということになってしまうかもしれないが、歴史的に見ると豊富な資源を有する“要地”というわけだ。一国一城が原則だった江戸時代においても、久保田藩の領内にすぎない大館に城が置かれていたのは、この地の重要性がゆえなのだろう。

 小坂鉱山の本格的な開発は幕末からで、最初は金・銀がお目当て。明治時代には日本一の銀鉱山だった。その後は黒鉱が主体となったが、1990年まで採掘が続けられてきた近代日本を代表する鉱山だ。

 

 だから鉄道においても鉱石輸送と木材輸送は大館駅の最大の役割だった。大館駅が開業したのは1899年だが、それから10年後の1909年には早くも小坂鉄道が開業。

 さらに1916年には花岡線も開通し、鉱石輸送で大館駅は大いに賑わう。1912年には、大館駅が秋田県内でいちばん鉄道収入の多い駅になっていたくらいだ(県都のターミナル・秋田駅よりも儲かっていた)。

 戦後もそうした流れは変わらない。黒鉱輸送は1960年代後半にいたっても飛躍の期待される有望株だったようだ。いっぽうでは、木材輸送はトラック輸送に切り替わっている状況が雑誌「国鉄線」の1966年9月号に載っている。

 なんでも、奥羽本線自体の輸送量に限度がある中で、季節によっては青森方面からのリンゴ輸送などが入ってくるため、木材輸送は思うに任せずトラックに切り替える業者が増えてきたのだとか。なんとも地域性を感じるエピソードである。