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もし将棋を始めたてで指導対局を受ける場合…

 将棋道場に行くと、対戦相手も勝ちを目指しているので、当然全力で自分を倒しにくる。一方、指導対局での多くの場合の上手は、いかにきてくれた人に良い手を指してもらい、勝ってもらうかを考える。

 失敗したと思ったら指した手を戻してもいいし、分からなかったら指しながら聞いてくれて問題ない。どちらも真剣勝負ではできないことだ。

 もし、将棋を始めたてで指導対局を受ける場合、そのことを指導者側に伝えてくれた方がありがたい。

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 指導対局を受けにくる人たちは、実力試しだったり、強くなりたくて厳しめに教えてほしかったり、駒の動きを覚えてきたばかりだったり、目的は様々である。

 実力試しの人には勝ちに行ったり、強くなりたい人には難しめの局面に誘導したり、覚えたばかりの人には攻めてきやすい形にしたりと、こちらは相手の目的や棋力を推察しながら指し方を変えていく。

 いつも上手くいくとは言えないが、どの方にもできる限り楽しく、充実感がある時間を過ごしてもらいたいのは、指導対局における私の願いである。

 ちなみに私は人の顔や名前を覚えるのが苦手なのだが、将棋(指導対局も含む)を指すと、どういう将棋を指したかを結構な期間、覚えている。

「棋は対話なり」。勝ち負けの勝負である一方で、将棋はコミュニケーションツールなのだ。

隣で次女が「わたしもしょうぎやるー!」

 もしも今後、長女の気が向くことがあれば、仲の良い佐藤慎一五段がやっている将棋教室に連れて行きたいという親の野望がある。

「親戚かな?」とたまに思うくらい、慎一さんは姉妹を赤ちゃんの頃から可愛がってくれている。姉妹も、慎一さんが対局の時はPC画面に向かって応援し、解説の時は画面に向かって呼びかけ、「一緒にご飯を食べるよ」と言うと歓喜のスタンディングオベーションだ。

 負けるのを嫌がり、知らない人とは指さない長女も、慎一さんなら大丈夫かもと期待してしまう。

 夫は送り迎えがてら一緒に飲めるのを楽しみにしていて、むしろ通わせたいメインの理由はそっちに見えるが、親も楽しめるのは子どもだけが楽しいよりも、きっともっといい。

 楽しそうに将棋を指す姉を見て、隣で次女が「わたしもしょうぎやるー!」と元気な声を出している。彼女は初手で突然相手の玉を取るツワモノだ。

 駒の動きを教えるのがめんどくさい夫は「駒の動きはお姉ちゃんのを見て学びなさい!」と無茶を言う。当然ジッと見ている訳もなく、私と遊び、姉の将棋が終わるのを見ると再び夫の方へ。

山崩しに使われている駒 ©上田初美

 観念した夫は「じゃあやるか」と言い、盛り上げ駒を使った山崩しが始まるのであった。

 何事も楽しめるのが一番である。

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