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「このまま六本木でキャバ嬢を続けても稼げないと思って…」浜田ブリトニー(43)が明かした、異例の速さでのマンガ家デビューと当時のギャラ事情

浜田ブリトニーインタビュー#2

genre : エンタメ, 芸能

 2006年にホームレスギャルマンガ家としてデビューした浜田ブリトニーさん(43)。2019年にお笑い芸人の岩見透さんと結婚し、現在は2児の母として子育てに奮闘中である。

 そんな浜田さんだが、マンガ家としてデビューするまでは波乱万丈な人生を送っていたという。18歳で千葉から上京し、27歳でマンガ家デビューするまでの道のりを聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)

マンガ家としてデビューした時の浜田ブリトニーさん

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書店で手に取ったのが、藤子不二雄(A)先生の『まんが道』

――キャバクラで働いたり、ぺットブームに乗っかるためにトリマーの専門学校に通うなど、お金を稼ぐために尽力していた浜田さんですが、マンガ家としてデビューされたきっかけはなんだったのでしょうか。

浜田 27歳くらいの時、ちょうど岐路に立っていたんです。30歳を目前に、そろそろキャバクラは引退しようかなと。全盛期よりも稼げなくなったというのもあったので。

 ただ、辞めた後にしたいことも特になくて。どうしようかと悩んでいた時に、たまたま書店で手に取ったのが、藤子不二雄(A)先生の『まんが道』という作品。なんでかわからないけど、気づいたら買っていて。

浜田ブリトニーさん(43)

――それまでマンガに興味はあったんですか。

浜田 マンガを描いたこともなかったし、絵が上手かったわけでもなかったけど、読むのは好きでしたね。

『まんが道』は、藤子不二雄先生がモデルで、プロの漫画家になるまでの道のりを描いているんですけど、目標に向かって突っ走る主人公に共感したんです。それで直感的に「私、マンガ家になろう」と思って(笑)。

キャバクラで働いていた時の浜田ブリトニーさん

――また直感ですか。

浜田 私の人生、振り返ってみれば直感頼りなんですよ。意外と直感は当たってるのかもしれない。それで今度はマンガの専門学校に入学しました。学費はそれまでの貯金を取り崩して。

 そしたら入学から半年後に、私の作品が学内の最優秀作品賞に選ばれたんです。私才能あるかもと調子に乗って、「週刊ビッグコミックスピリッツ」編集部にアポなしで持ち込みをして。ヤバイやつですよ。画力も全然ないのにいきなり小学館に行くんですから。

 しかも、当時は日サロでガンガン焼いていたから、真っ黒で派手なギャルメイク。片手にはパンパンの荷物が入ったスーツケースをゴロゴロと引いていた。

――相当目立ったのでは?

浜田 当時の編集者は、面喰らったみたいです(笑)。どう考えてもマンガを描いているようには見えなかったから。普段は、予約なしの持ち込みは見ないことになっていたみたいですけど、さすがに私の見た目のヤバさが気になったのか、そこそこ偉い編集者が読んでくれて。