第35期竜王戦第1局、振り駒で先手となった広瀬章人八段は角換わりを選択。タイトル戦ではもっとも多い戦型で、藤井聡太竜王は豊島将之九段との王位戦七番勝負全5局も角換わりだった。

 しかし開始から数分して、藤井が動かなくなる。藤井がタイトル戦で序盤早々10分以上も考えるのはこれが初めてである。なぜ考えたのか? それは広瀬が藤井に勝つために、ある作戦を用意してきたからだった……。

 その名は「飛車先保留」。

ADVERTISEMENT

竜王戦第1局は、挑戦者・広瀬章人八段(左)の先手番で始まった。藤井聡太竜王(右)はお茶を飲んだのちに2手目を指す ©️時事通信社

「保留型」を流行戦法に仕上げた谷川浩司十七世名人

 角換わり腰掛け銀の歴史は昭和までさかのぼる。

 昭和初期の大名人、木村義雄十四世名人(1905-1986)は角換わり腰掛け銀を得意とし、「木村定跡」と呼ばれるようになる定跡を残した。また升田幸三、塚田正夫、丸田祐三といったその時代の棋士達も定跡を創り上げた。

 だが腰掛け銀はその後ゆき詰まる。後手が桂を跳ねずにガードを固め専守防衛にしてきたときには、攻略できなかったからだ。玉に金をくっつけすぎると角を打たれる。桂を跳ねると角を打たれる。腰掛け銀の銀と銀が向かいあい相殺され、桂頭攻めができないと手ができず、千日手になりやすかった。

 それを打開したのが「飛車先保留」だ。飛車先を2五まで突き越さず、2五桂と跳ねる余地を作ることによって攻めに幅を広げる意味がある。

 昭和40~50年代にかけて、何人かの棋士が保留型を試行錯誤していたが、それを整備し、流行戦法に仕上げたのが谷川浩司十七世名人だ。1988年の第46期名人戦七番勝負、谷川はこの戦法で第6局を制し、中原誠名人から名人を奪い返した。

羽生善治九段の「永世七冠」の原動力にも

 以来、角換わりは矢倉と並ぶ相居飛車の花形戦法となってゆく。ちなみに矢倉でも飛車先を突かずに駒組する「飛車先不突矢倉」が大流行し、「歩の位置が下るごとに将棋は進化する」と言われた。後戻りできない歩や桂をうまく活用するために、皆が保留または不突作戦を採用した。それは昭和から平成にかけても、また陣形が4八金―2九飛のバランス型に変わっても、人気は変わらなかった。

 羽生善治九段も保留型を愛用した。第30期竜王戦七番勝負第5局(2017年12月4・5日)、渡辺明竜王に挑戦していた羽生棋聖(いずれも当時)は保留型を採用、2五桂と跳ねて攻めをつなげて圧勝し、シリーズを4勝1敗で制した。この勝利によって竜王通算7期、「永世竜王」の資格を得て、全7タイトル(叡王戦はまだタイトル戦ではなかった)の永世称号を獲得、「永世七冠」となった。その偉業により、羽生には国民栄誉賞が贈られている。