300万部を超えるベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で知られる渡辺和子。修道女であり、ノートルダム清心女子大学で初めての日本人学長となった彼女の父は、二・二六事件で命を落とした軍人・渡辺錠太郎だった。
わずか9歳のとき、歴史に残る事件で父の最期を目撃することになった彼女の生涯に、父の死はどう影響を与えたのか? 女性の物書きとその父との関係に焦点を当てた、梯久美子さんのノンフィクション『この父ありて 娘たちの歳月』(文藝春秋)より一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/島尾ミホ編を読む)
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歴史に残る事件の、わずか9歳の目撃者
父と娘が寄り添って立つ一枚の写真がある。破顔する軍服姿の父は、ときの教育総監・渡辺錠太郎(じようたろう)、61歳。はにかんだ笑みを見せる娘は次女の和子、8歳である。撮影されたのは1935(昭和10)年8月。この半年後に、父・錠太郎は命を落とす。
1936(昭和11)年2月26日午前6時ごろ、二人の青年将校が下士官兵を率いて、杉並区上荻窪2丁目13番地(現・上荻2丁目7番)の渡辺邸を襲撃した。一階の和室で父と布団を並べて寝ていた和子が物音に目を覚ますと、先に身を起こしていた父は押し入れからピストルを取り出し、「お母様のところに行きなさい」と言った。
部屋を出た和子は母を見つけるが、銃声や兵の叫び声が聞こえる中、母はおろおろする女中たちに懸命に指図をしている。邪魔をしてはいけないと思い、父のいる和室に戻った。
「父は、困ったな、という顔をいたしました」
私が話を聞きに行ったとき、渡辺和子は、そのときの父の表情をよく覚えていると言った。
錠太郎は、部屋の隅に立てかけてあった座卓の後ろに隠れるよう和子に目で合図をした。和子が座卓の裏に入るのとほぼ同時に、隣の茶の間とのあいだの襖(ふすま)が細く開き、軽機関銃がさしこまれて射撃が始まった。
最後は安田優(ゆたか)少尉によって至近距離から拳銃で撃たれ、銃剣で切りつけられて、錠太郎は絶命する。その一部始終を、座卓の陰から和子は見ていた。歴史に残る事件の、わずか9歳の目撃者である。
錠太郎の身体に撃ち込まれた弾は43発。室内には弾痕おびただしく、血痕や肉片も飛散していたという。
父がとっさに娘の盾にした座卓にも弾痕が残っていた。弾が飛びかう室内で和子が無傷だったのは、ほとんど奇跡といえる。