和子は以前から、『妻たちの二・二六事件』の著者である澤地久枝に、一度出席してはどうかとすすめられていた。ずっと迷ってきたが、50年の節目であること、遺族たちが出席してほしいと言っていることを知って決心したという。
「正直に申しまして、敵を許す、というキリスト教的な心がけがあって出席したわけではありません」
和子が考えたのは、父なら何と言うか、ということだった。
「きっと、出なさいと言うと思いました。軍人の娘は背中を見せてはならない、逃げるな、と」
ほかの出席者たちとともに読経を聴いているときは複雑な気持ちだった。その日は父の命日ではなく、父を殺した人たちの命日なのだ。
法要のあと、境内にある墓に線香を供えて手を合わせた。振り返ると、二人の男性が深々と頭を下げている。
渡辺邸襲撃を指揮し、最後にとどめを刺した高橋太郎と安田優両少尉、それぞれの実弟だった。二人は涙ながらに「私たちこそ、先にお父さまのお墓にお参りするべきでしたのに……申し訳ありません。これで私たちの二・二六が終わりました」と話した。
「叛乱軍という汚名を受けた身内を持ったこの方たちは、被害者の娘であった私より、もっとつらい50年間を過ごされてきたのだと、そのとき気がついたのです。この日を境に気持ちに区切りがつきました」
それでもあの朝、目の前で殺された父の姿が記憶から消えることはない。
「43発の銃弾を浴びて血まみれになった父が、その死をもって私に教えてくれたのは、人の命がいかにはかないかということ。そして、暴力をもって世界を変えようとしたとき、どんなに恐ろしいことが起こるかということでした」
インタビューの最後に、彼女はそう話した。