文春オンライン

2022/10/31

source : 文藝出版局

genre : ライフ, 社会, 政治, 教育, 歴史, 読書

 和子が50代になろうとする頃、関西のテレビ局が制作する二・二六事件の特集番組に呼ばれた。控え室にいると、初老の男性が入ってきた。叛乱軍の伝令を務めた人で、同じ番組に出演することを、そこで初めて聞かされたという。

 コーヒーが運ばれてきた。朝の10時過ぎで、和子はちょうどコーヒーが飲みたいと思っていたところだった。

©iStock.com

 口元までカップを持ち上げて、手が止まった。身体が欲しているはずの温かい飲み物を、どうしても飲むことができない。直接手を下したわけではないが、父を殺した側の人間が目の前にいるのだ。

 父を惨殺された衝撃と悲しみは簡単に消えるものではないが、恨みは乗り越えたつもりだったし、聞かれればそう答えてきた。だが、心の奥底では許していなかったことに、このとき気づいたという。

 この話を聞いたときから、この人のことをもっと知りたいと思っていた。インタビューが叶ったのは6年後のことだ。

 コーヒーを飲めなかったときの気持ちをあらためて尋ねると、彼女は言った。

「やっぱり私の中には父の血が流れている。そう思って、うれしかったですね」

 思わず「うれしかった、のですか?」と問い返した。

 許すということの難しさや、憎しみを乗り越えて生きる大切さというような話になるのではないかと思っていたからだ。

「ええ、うれしかったです」

 彼女はもう一度言った。

「許せていない私は修養が足りないと思ったのは、少しあとのこと。カップに口をつけられなかった瞬間は、ああ自分はいまも、まぎれもなく父の子だ、と思ってうれしさがこみ上げました。十字架にかけられたイエス様は、彼らはその為すところを知らざれば許したまえ、とおっしゃいましたが、私はそうはなれませんでした」

父を殺した人たちの命日に、手を合わせた日

「では、いまは許せるという気持ちになられたのでしょうか」

 そう尋ねると、

「もう、恨みはまったくありません」

 という答えが返ってきた。

 そのきっかけとなったのは、事件から50年が過ぎた1986(昭和61)年7月12日、東京・元麻布の賢崇寺(けんそうじ)で営まれた法要に出席したことだという。7月12日は青年将校15名が刑死した日で、毎年、法要が行われていた。