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「母親の機嫌を損ねると容赦なく張り手が飛んだ」幼少期から“異常な母子関係”に苦しんだ私の生きづらさの正体

2022/10/24
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「他人の評価」を軸にして生きるのをやめてからというもの、生きるのが随分と楽になった。

 完全に他人の目を気にしなくなったのかと聞かれると、人並みの羞恥心はもちろんあるし、最低限のマナーや礼儀をわきまえるよう注意して相変わらず生きてはいるけれど、少なくとも「誰かから評価されること」を目的に行動することはなくなった。

 他人に認められるかどうかで、あるいは誰かの気分次第で振り回されることで自己肯定感が上がったり下がったり、精神が安定したり不安定になったりするたび、ただただ心を消耗して、自分が擦り減って小さくなっていくような気がする。

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親子関係に起因する自己像

 自分がいつから他者評価に依存していただろうか、と思い起こしてみると、最も古い記憶は、幼少期まで遡る。

 母親は本来は優しい人だったが、神経が細いところがあり、私とひとつ年上の兄を1人で育てなくてはならないプレッシャーからか、度々怒号をあげ、私たちを叩いた。そのため私たちは生存戦略として、母親の顔色を常に窺う子供として育った。

 当時、私にとっては「母親に承認してもらえるかどうか」がすべてだった。行動の指標はいつも「お母さんに怒られないように●●しておかないといけない」といった強迫的な考えによるものだった。機嫌を損ねてしまうと容赦なく張り手やそこら中にある物が飛んでくるうえ、その後も母親の機嫌が戻るまでは何時間も、ときには何日も緊張状態が継続するため、どうにかして母親に許してもらう必要があり、子供ながらに必死に知恵を絞ったものだ。

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 兄と一緒に家から締め出されたときも、私は大泣きしながら「お母さんごめんなさい、もうしません。中に入れてください、許してください」とドアに取り縋って許しを乞うた。

 そうすると母親は勢いよくドアを開け、私の腕を掴んで家の中に引っ張り込み、ドアの向こうに兄を残したまま鍵をかけた。外から兄の泣き叫ぶ声が聞こえる。素直に謝ることができる、聞き分けのいい子供でいればそれ以上母親の怒りを買わないことは、そうやって学んだ。