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「母親の機嫌を損ねると容赦なく張り手が飛んだ」幼少期から“異常な母子関係”に苦しんだ私の生きづらさの正体

2022/10/24
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 母親は母親で、私を唯一の理解者とみなし、依存していた。私にある程度の自我が芽生え始めた思春期以降は特に、少しでも逆らうような素振りを見せれば過剰に反応していたし、私が外出したり外部のコミュニティと繋がることを極度に嫌い、成長した私から女性性を感じるようになると、それを拒絶する態度さえ示した。私は母親の嫌う私を封印し、母親が認めてくれた私でいようとした。

 共依存関係の中で、私はずっと母親のために生きていたのだと思う。私が母親との共依存から抜け出したのは、実家を逃れ、うつとPTSDの症状で倒れて普通には働けなくなり、藁にもすがる思いで心療内科や精神科で4~5年も薬物療法とカウンセリング治療(スキーマ療法)を続けた29歳のときだった。

©iStock.com

人格に紐づいた「習性」

 母親との共依存関係を終わらせたからといって、私そのものの性質が根本から変わることはない。

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 私は母親から、恋人など密接な関係にある人へと対象を替えながら、結局は彼ら彼女らの「承認」に飢え、求めてしまう弱さを抱えたまま大人になった。相手が不機嫌に見えたり、少し語気を荒げたりしただけで猛烈な不安に襲われ、恐怖を感じて涙をボロボロ流してしまうから、誰かと密接な関係を築くことが次第に怖くなっていった。

 私が幸運だったのは、実家から逃げ出したことで外界とつながり、母親との関係性の異常さを認められたこと、治療に前向きであったこと、自分の習性を理解して「傷付かないために必要なこと」を考え抜く力が残されていたことだと思う。

 31歳を迎えた今では「他人からの評価」に依存しないように、「承認されたい」という欲求と適切な距離を取りながら、なんとか自立した生活を送ることができている。

 他人からの評価を気にはしつつも「行動や生き方を決める軸にはしない」というのは、生きづらさを抱える多くの人にとって必要なことなのかもしれない、と最近は思っている。

「母親の機嫌を損ねると容赦なく張り手が飛んだ」幼少期から“異常な母子関係”に苦しんだ私の生きづらさの正体

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