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「母親の機嫌を損ねると容赦なく張り手が飛んだ」幼少期から“異常な母子関係”に苦しんだ私の生きづらさの正体

2022/10/24
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頑張り続けているうちに、母親は私を褒めてくれなくなった

 私は母親が好きだったから、母親にも私を好きでいてほしかったのだと思う。

 幼稚園児のときに、兄が小学校でもらってきたプリントの問題を解いてみると、母親が「あんたはまだ小学校に上がっていないのに、賢いね」と褒めてくれたのをずっと覚えていて、勉強を頑張るようになった。もっと褒めてほしくて、かけっこでもクラスで一番早く走れるようになるまで努力した。

 小学2年生のときに描いた絵がコンクールに入賞したとき、母親はとても喜んでくれた。でもそうやって頑張り続けているうちに、母親はまったく私を褒めてくれなくなってしまった。

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 どちらかというと私のやることなすことすべてに否定的で、例えば読書感想文を読んで「文章が下手でセンスがない」と一蹴されてしまってから私は文章への苦手意識が強まり、それ以降、書いた文章を母親に見せることは一切なくなった。

 そういう小さな否定がたくさん積もっていくと、だんだんと自分が無価値な存在に思えてきて、これではいけない、という風にどこまで行ってもゴールの見えない焦燥感や不安に苛まれるようになった。

母親からの承認にだけ執着していた理由

 私を構成していたものの正体は、母親からの承認だったのだと今では思う。私が他の誰でもなく母親からの承認にだけ執着していたのは、母親が長らく私にとって、世界のすべてだったためだと思う。父親が家庭にまったく関わらず、兄は兄で母親に隠れていつも私を虐めていたから、当時の私にとって、母親は唯一の肉親とも言うべき存在だった。

 確かにこの頃、私にとっての「他者」とは母親に限定されており、例えば学校の友達や先生からどう思われているかはあまり気にならなかったように思う。

 むしろ「こんなことを言ったら仲間外れにされるかもしれないからやめておこう」などと考えたり、人間関係を優先して自分の行動を制限したりするのは苦手な方だったし、大人になった今でも変わらず苦手なままだ。