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「……おめえナニ言ってんだ。そんなわけねえだろう!」

 当時は『列伝』の連載が進行中で、猪木さんも作品そのものは知っていたはずですけど、僕のことは知らなかったと思います。当時は漫画家の顔写真って誌面にもあまり載りませんでしたから。

 よく、『列伝』読者のプロレスファンからは「作品に出てくる猪木のコメントは、本人が出していたものなのか」と聞かれました。今でも聞かれます。

原作者の梶原一騎(右)と初代タイガーマスク

 原作の梶原先生が書いているわけだから、梶原先生が猪木さん本人か(当時、新日本プロレス営業本部長だった)新間寿さんに聞いているんだろうと僕も最初は思い込んでいました。それで連載が始まって2年ぐらいしたときかな、練馬高野台の梶原先生のご自宅で直接お聞きしたことがあるんです。

「ところで梶原先生、毎週、猪木さんにはお話を聞いてるんですよね。あの忙しい猪木さんが毎回解説してくれるのは凄いです」

 そうしたら、梶原先生は実にあっさり即答しましたよ。

「……おめえナニ言ってんだ。そんなわけねえだろう!」

 あれは衝撃だったなあ……、ほとんど梶原先生の創作だったんですから(笑)。でも後から思うと、それに対して何も注文をつけなかった猪木さんの度量も凄いですよね。作品がプロレス人気につながるならと、全部許していたんでしょうから。

「プロレススーパースター列伝」の連載が始まった1980年の「少年サンデー」

『列伝』は、連載中から少年マンガとしては異色でした。当時の『サンデー』は『うる星やつら』(高橋留美子)や『タッチ』(あだち充)といった、正統派のラブコメが大人気でしたが、その対極で、女性の一切出てこない血と汗の世界ですからね。

 連載はのスタートは当時人気だったザ・ファンクスの話でしたが、出だしから頭を抱えたのをよく覚えています。梶原先生の原稿がいきなり猪木さんの長ゼリフから始まっていたんですよ。

「プロレススーパースター列伝」より

 <わたしがプロレスをとおして追求するのは、たんなる強さや勝敗よりも、もっと壮大な男のロマンである。過去、わたしなりに血と汗で白いマットにつづってきたロマンも、すばらしい好敵手たちが存在してこそ花ひらいた。彼らとのかずかずの死闘の体験が、この劇画のお役にたてれば幸せに思う。 ‘80・4 アントニオ猪木>(『プロレススーパースター列伝』ザ・ファンクス編)

 こんなの子どもにどうやって読ませればいいんでしょう(笑)。でも当時のプロレス少年は大人向けコミックに出てくるような猪木さんの長文セリフを、隅々まで全部読んでくれました。凄すぎますよね。そして当時の猪木プロレスには、それくらいファンを熱中させる魔力、時代性があったんだと思います。