「奇跡の50歳」として注目を集める気象予報士・フリーアナウンサーの中川祐子さん(50)。2014年に42歳でグラビアデビューを飾り、以降はモデル、タレントとしても活躍している。

 中川さんは新卒で総合商社に入社し、2年半勤めたあとにアナウンサーの道へ飛び込んだという。なぜ彼女は、安定した職を捨ててまでアナウンサーを目指したのか。そのきっかけや苦労した思い出などを詳しく聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)

中川祐子さん ©末永裕樹/文藝春秋

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「この仕事は向いてないかもな」と感じていた総合商社時代

――現在のお仕事や、ご自身がお持ちの肩書きなどを教えていただけますか。

中川祐子さん(以下、中川) 肩書きは、フリーアナウンサー・気象予報士です。タレントやモデルもやっていて、バラエティ番組やCMにも出演しています。

――気象予報士以外の資格もたくさん持っているそうですね。

中川 健康気象アドバイザーやコスメコンシェルジュ、美容薬学検定を持っています。最近だと普通自動二輪免許も取りました。もはや資格マニアみたいな感じですね。

普通自動二輪免許を取得し、バイクも購入(中川祐子さんのInstagramより)

――アナウンサーになる前は総合商社に勤めていたんですよね。当時のお話を伺ってもよろしいでしょうか。

中川 私が大学生のときは、就職氷河期だったんです。ちょうどバブルが弾けた2年後ぐらいで……しかも学生時代に遊んでばかりいたので、将来のことを何も考えてなくて(笑)。

「もうどこでもいいから就職できればいいや」という感じで、業種を選ばずに就職活動をしていたら、運よく総合商社の一般職に受かることができました。

――総合商社ではどのような仕事をしていたのですか。

中川 国際法務課という部署で、コピーを取ったり、 書類を整理したり、お茶くみをしたり、ですね。でも私は、そういう細かい作業が苦手だったんです。それに動き回るのが好きなタイプだったので、決められた仕事よりも新しいことにチャレンジしたいと思うようになって。だんだん「この仕事は向いてないかもな」と感じ始めたので、上司にその悩みを相談しました。

 そしたら「それなら、部内の外国人弁護士たちに日本語を教える仕事をしてほしい」って言われたんです。私は幼少時代、アメリカ・テキサス州のヒューストンに6年間住んでいて、英語が得意だったので。