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――英語でコミュニケーションを取りながら日本語を教えてほしい、ということですね。

中川 そうです。それからは、毎日教壇に立って外国人弁護士たちに日本語を教えるようになりました。そして次第に「人前で喋るのは、こんなにも楽しいんだ」って思うようになったんですよね。

 大勢の前で教壇に立つと、自然と注目を浴びる。その緊張感がすごく好きだったんです。アナウンサーになりたいと思うようになったのは、それが理由ですね。

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「アナウンサーの仕事に、今からでも挑戦してみたい」と考えた理由

――人前で話をする仕事は他にもいろいろあると思います。なぜアナウンサーになりたかったのでしょうか。

中川 もともと、学生時代から憧れてはいたんです。でも、まさか自分がなれるとは思っていなかったので、アナウンサーになるための就職活動はしませんでした。

 ただ、「私は人前に立って、刺激を受けるほうが性に合ってる」と思うようになったことで、「刺激が多いアナウンサーの仕事に、今からでも挑戦してみたい」と考えるようになって。

 だから商社で働きつつ、アナウンススクールに通うことにしました。そしたらそこで、スカウトしていただいたんですよね。

――アナウンススクールでスカウトされることもあるんですね。

中川 そのアナウンススクールが、アナウンサー事務所と提携しているスクールだったんですよ。すぐに事務所へ入れるということだったので、2年半働いた商社を辞めることにしました。

――商社を辞めるとき、周りの反応はいかがでしたか?

中川 社内の人には「すごい!」「やりたいことが見つかってよかったね」って言われたし、応援もされました。

 でも父と母は、もしかしたら辞めてほしくなかったのかもしれません。2人とも考え方が少し固くて、人前に出るメディア系のお仕事に良い印象を抱いていなかったので……。

――フリーアナウンサーとしてデビューしたのは、1997年ですよね。

中川 25歳くらいのときですね。事務所に入ってからすぐに、NHK教育の『3か月英会話』という番組のオーディションがあって。そこで運良く受かり、デビューが叶いました。