試験は3項目あって、2つの学科試験と実技試験で構成されています。学科試験に受かっても、1年以内に実技試験も受からないと、また1からやり直しなんです。そしてその実技試験が、本当に難しい。しかも試験は年に2回しかない。さらに当時の合格率が4%くらいだったので、これはやばいと思いました(笑)。
――それでも諦めなかったんですか?
中川 何度も諦めようと思いましたよ。でもみんなに「気象予報士になる!」って宣言しちゃったので、やめるわけにはいかなかった。それに、負けず嫌いなんですよ。結局3年かかって、35歳のときにようやく気象予報士の資格を取ることができました。
ただ、気象予報士に合格しても、年齢的にテレビのお天気キャスターの仕事には採用されなかったんです。私よりも若いアナウンサーはたくさんいるし、アイドルやモデルの方がお天気キャスターの仕事をするようにもなっていたので。
39歳で気象キャスターに「まさかの合格」
――当時から、お天気キャスターは若い女性が務めることが多かったんですね。
中川 その部分には、かなり複雑な思いがありましたね。でも頑張って取った資格なので、せっかくだから活かしたいと思って。少しの間、ウェザーニューズという会社で契約社員として働いていたんです。その後は、NHKの国際放送局で、世界の天気予報の原稿を英語で書く仕事をしていました。
――裏方の仕事をしていた時期もあった、と。
中川 でもしばらく続けていると、「また表に出る仕事がしたいな」と思い始めて。 そんなときに、たまたまウェザーニューズが年齢制限のない気象キャスターを募集していたので、オーディションを受けたんです。そしたらまさかの合格をしちゃって。
――そのときはおいくつだったんですか?
中川 39歳でした。それからは、NEXCO東日本の高速道路の気象キャスターをメインに仕事をしていましたね。東北地方の天気予報をサービスエリアで流していて、冬の時期は雪がどのくらい積もるのかまで伝えていました。
ただ、それもしばらく続けていたら、「また何か新しいことをやりたい!」と思い始めてきたんです。
撮影=末永裕樹/文藝春秋