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 それは、私自身が『ほしのこえ』や『秒速5センチメートル』といった「別れと孤独」に主眼を置く物語作家としての新海誠が好きだったからということもあるかもしれませんし、まだいまよりは震災の記憶が残っていた当時、まさか、「人的被害をなかったことにする」エンディングが選ばれるとは思っていなかったこともあります。

新海誠監督 ©文藝春秋

 しかしご存じのように、『君の名は。』が最終的に選ぶ結末は、あらゆる死者たちが救われる、というものでした。このエンディングを観て、本作は非常に議論を呼ぶものになるだろうとも思いました。

『君の名は。』とディズニー映画の共通点

 これまでの新海誠作品とは異なる、中心的なふたりが「出会う」ことで幕を閉じる本作を観て、まるでディズニー映画を観ているような気分になったのも確かです。

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その展開自体はZ会のCM(編注:新海誠監督が2014年にZ会のCMとして手がけた短編アニメーション『クロスロード』のこと)において先取りされた構造ではあったわけですが、ディズニー式のハッピーエンディング――『白雪姫』以降のプリンセスものが常に辿り着く場所――について、ウォルト・ディズニーは「片割れとなったものが出会う」ことを人間は本能的に求めると言っていたことも思い出させました。瀧と三葉のふたりが、実際に「片割れ」同士であったことも示唆的です。

 ウォルト・ディズニーが考えた人間の本能的なこともそうですが、『君の名は。』には、日常的なスケールを超えた巨大な何かが宿されています。個人の意志や展望では支えきれないような何かです。

 個人のスケールを超えたタイムラインについては、東日本大震災の時にも話題となりました。数百年前に同地で起きた地震と津波が残していた痕跡――被災の記録を残した石碑など──は、過去の記憶の貯蔵庫であったわけですが、そのことが次第に忘れられ、津波が来る範囲にまで居住地区が広がったことにより、被害が拡大したというような話です。

主人公の一人である宮水三葉を演じた上白石萌音さん ©文藝春秋

『君の名は。』は、それを物語のモチーフのなかに入れ込んでいます。三葉がいる宮水神社は、かつての彗星の被害を伝え、その再発の可能性を伝承しようとしていたわけですが、火事によって文書は失われてしまった。しかし、本来意味するものを失い、形骸化されていたとはいえ舞や巫女がトランス状態になる儀式、口嚙み酒といったものは残されていた。

 この物語は、現代的な基準では何を意味しているのか忘れられてしまっているそれらのモチーフを、瀧と三葉が時空を超えたかたちで解き明かしていく物語になっている。