文春オンライン

2022/10/29

 つまり、三葉と瀧は、自身が、災害の物語を現代に憑依させるためのイタコ、巫女的な存在となる。その時、個の記憶や歴史は失われ、器となることで、長い歴史の物語が流れ込んでくる。

『君の名は。』に隠されたオカルト・ホラー要素?

 本作の展開について、忘却や想起が都合良く起こるという批判をする人たちもいましたが、おそらくそれは本質的なものではなく、三葉と瀧が個を失い災害の歴史を混線させるというトランス状態がうまく描写されている、と考えたほうがいい。新海誠はホラー、オカルト好きですから、そういった憑依ものの物語の文脈や歴史もまた、きっと意識しているはずです。

 そう考えると、物語の最後で瀧と三葉が互いに対する記憶をなくしたままに、しかし何かに導かれるようにして出会う展開も、美しい奇跡のように見えて、その実はホラーでオカルトチックにも思えてきます――憑依体質が強いふたりをくっつけることでそういう体質の血筋を残そうとしている……?

『天気の子』にも瀧と三葉が登場して同じくオカルト体質の強い主人公たちと薄いながらも関係性を持つことも、なんだか「類は友を呼ぶ」感じをさせるというか……。

映画『天気の子』公式サイトより

瀧と三葉は神話の登場人物でもある

 オカルト、という言葉でまとめてしまってはいけないのかもしれません。本作には数々の日本の神話のモチーフも入り込んでいます。

 たとえば、『君の名は。』のブルーレイ(コレクターズ・エディション)に収録されている講演映像で新海誠自身が、「行きて帰りし物語」という神話の定型を意図的に入れたという話をしている。瀧と三葉は、神話の登場人物でさえあるわけです。

『万葉集』をはじめとする古典文学だったり、日本文学における儚さだったり、さらには神道だったりと、これでもか、というくらいに、日本的なモチーフが本作には流れ込んでいる。そのうえでさらに、舞や酒によるトランスといった、古くから人間を超えたスケールに自分自身を接続するための技法の歴史のようなものが感じとれるわけです。

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