1ページ目から読む
2/4ページ目

 その日の僕は、クイズ人生でも最高に調子が良かった。押すべきポイントで押せていたし、苦手なジャンルの問題でもいくつかポイントを拾えていた。そして何より、大舞台なのに緊張もせず、クイズを楽しんでいた。こんなにクイズが楽しかった記憶はなかなか思い出せない。

 僕は自分が勝つと思っていた。もちろん、本庄絆の強さもよく知っていた。というか、決勝の場で対戦する中で、彼の強さを知ってしまった。正直言って、今日まで彼のことを見くびっていた。彼は広辞苑を丸暗記しただけのテレビタレントで、クイズなんて全然できないと思っていた。でも実際には違っていた。隣で早押しを競ってきたからよくわかる。彼はクイズという競技の勉強をしていた。この短期間でどれだけ努力したのか想像もできないほどに。

 それでも僕は、どんな問題が来ても本庄絆より先に正解にたどり着くと確信していた。僕は10年以上、毎日のようにクイズをしてきた。付け焼き刃の努力には負けない。クイズという競技の中だったら、かならず勝つことができる。かならず勝つ。自分に言い聞かせるように繰り返す。かならず勝つ。

ADVERTISEMENT

次の1問、先に早押しボタンを押したのは…

 スタジオは静まりかえっている。耳をすますと自分の心臓の鼓動が聞こえる気がする。おそらく錯覚だろう。テレビや映画の演出とは違い、人体は自分の心臓音が聞こえるようにできてはいない。本当に聞こえていたらそれはきっと耳の病気で、「拍動性耳鳴」という。「拍動性耳鳴」が答えのクイズには出会ったことがない。専門性が高くてクイズには向いていないからだろう。でも僕は、クイズとは無関係にこの言葉を知っている。2年前、僕の母が罹患したからだ。

 いいぞ、悪くない。僕の頭はよく回転している。ノビのある直球を「火の玉ストレート」とも評される、元阪神タイガースの野球選手は――藤川球児。僕の頭は藤川球児のストレートくらい回転している。

 CMが明ける。番組のMCが「さあ、決勝の舞台も終盤です」と言う。「はたして次の問題で王者が決定するのか。それとも本庄絆が粘りを見せるのか」

©iStock.com

 僕は目をゆっくりと開き、息を吸って吐いた。手元の早押しボタンの感触を指先で確かめた。

 ディレクターが合図をする。問い読みのアナウンサーが息を吸う。

「問題――」という声が聞こえる。それと一緒に、観覧席から「あと1問」という誰かの声も聞こえる。あと1問で、僕は優勝する。

 僕は集中する。クイズに対して、100パーセント集中する。

「仏教において極楽浄土に住むとされ、その美しいこ――」

 僕も反応したが、解答権を示すランプが点いたのは対戦相手の本庄絆だった。

 押し負けたのは、油断したからではなかった。本庄絆の押しが完璧すぎたのだ。