10月13日、富士山五合目須走口からのカーブの続く下り坂。10トンを優に越える大型観光バスを運転手が制御しきれなくなり、左右に揺れる「ダッチロール」状態になった。

「ブレーキが効かない!」

 運転手が声を張り上げると、経験豊富な女性添乗員は「サイドブレーキ!」と応じ、すぐにマイクをつかみ乗客に「シートベルトをつけてください」と緊迫した声でアナウンスした。乗客が横転までに最低限の心構えができたのは不幸中の幸いだった。それでも大型バスの横転の衝撃は大きく、1人の尊い命が失われ26人が重軽傷を負った。

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横転したバス ©共同通信社

 同日、静岡県警は運転手の野口祐太容疑者(26)を自動車運転処罰法違反(過失致傷)で現行犯逮捕。事故原因は運転手がフットブレーキを多用したことで高熱が発生して効きが悪くなる「フェード現象」が起こっていた可能性が有力視されている。

「フェード現象防止はバス運転手の基本のキ」(観光バス運転手)だというが、文春オンライン編集部には全国のバス関係者から「事故の責任を運転手一人に押しつけるのはおかしい」という声が多数届いている。

 事故から2週間経った10月27日、静岡県警は野口容疑者を事故現場に立ち会わせ、当時の状況を捜査した。地元記者によると、野口容疑者は現場で約10秒間頭を下げていたという。

「バス運転手が夢」逮捕された野口容疑者

「野口くんはいいバス運転手でしたよ」

 そう語るのは、クラブツーリズムのツアーに多く添乗してきた添乗員のA子さんだ。発着地は異なるが、野口容疑者が運転する美杉観光バスでの乗務経験もあるという。

「普通、観光バスの運転手は道を間違えてもUターンをしないんです。お客さんを不安にさせるし、道を間違えたなんて恥ずかしいミスがバレたくないというプライドもありますからね。だから別の道を通ってうまく修正する。

 ですが美杉観光のドライバーは平気でUターンします。運転手としてのプライドが育っていない。添乗員の間では『ブラックすぎて人がいつかないから、経験のある運転手がいないせいだ』と有名ですよ。

 でも、そのなかで野口くんは違っていました。彼自身から聞いたのですが、野口くんは元々バス運転手になりたくて大型の免許を取り、トラック運転手からキャリアを始めたんです」

事故現場手前より現場カーブを望む 撮影/宮崎慎之輔 ©文藝春秋

 野口容疑者にとってバス運転手になることはかねてからの夢であり、目標だった。物を運ぶトラックと比べ、人を運ぶバスの運転手には大きな責任とともにやりがいを感じていたようだ。

「その後、念願叶って都内の大手バス会社に転職したのですが、コロナ禍で運転の機会が少なく、経験を積めないからと地元埼玉の美杉観光に移った。念願の観光バス運転手になれたからか、仕事にはとても熱心に取り組んでいました。嘱託のベテランドライバーに道を聞くなど下調べは欠かさなかったし、一緒に勤務した際には『今日のコースはしっかりと聞いてきたんで大丈夫です』と頼もしいことを言ってくれたこともありました。私たち添乗員としても、本当に成長してほしい若手ドライバーさんでした」(同前)