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『NIAGARA CALENDAR』は優れた作品だった

——達郎さんとしては、単純な神格化はしたくない。繊細な心情があるような気がします。

山下「大瀧さんが音楽でやりたかったことというのがあって、その終着点は実は『A LONG VACATION(ア・ロング・バケイション)』(1981年。大瀧最大のヒット・アルバムであり、1982年のCD発売以来、初のミリオンセラーを記録)じゃなかったと思うんですよね」

——“半面”ですよね、大瀧さんがやりたかったことの。

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山下「そうなんです。だけど、たとえば70年代に出した『NIAGARA CALENDAR(ナイアガラ・カレンダー)』。優れた作品だったにもかかわらず、オーディオ的な面やプロモーションの問題で、非常に不本意な結果になった。またそこに、大瀧さん自身のかたくなさが加わって……。これも、ちょっと言葉では説明しづらいんですよね。こう言うとネガティブな印象しか与えないだろうけど、でも僕自身は、あの人のそういう頑固さとかかたくなさが、手に取るようにわかるので」

ナイアガラ・レーベルの第1弾作品であり、シュガー・ベイブ唯一のアルバム「SONGS」(1975年)

「君は天然色」は難しい

——ある意味、“身の内”的に。

山下「家族みたいなもので、育った環境も同じ一人っ子で。一人遊びで育ってきたところも似ている。ただ、大瀧さんはその博覧強記ゆえに、厳密な意味でのミュージシャンという枠からは少し外れていたように思えるんですよ。アイディアマンというか、むしろエッセイストとかのほうが、音楽以上にうまくいったんじゃないかと思う」

——“コンセプトの人”ということですか。

山下「アイディアに興味はあっても、それを音楽的にどう具体化していくかに関しての好奇心、努力というものが、そんなに好きじゃなかったように僕には思えた。テクノが出てきた時、これこそ大瀧さん向きだと思って、“コンピューター・ミュージックをやればいいのでは?”とずいぶん勧めたけど、絶対にやらなかったものね。それは今でも不思議です」

——ニューオーリンズ・ビートの「人力飛行機」を聞いていると、80年代以降の大瀧さんが手放してしまったライブ感を、達郎さんなりのやり方で継承されていこうとしているようにも感じました。

山下「そうですね。かと言って大瀧さん自身の歌を歌うとなると、ちょっと難しいんですけど。大瀧さんはバリトン。僕とは声域が違うから。『A LONG VACATION』収録の『君は天然色』は、実際にライブで歌ってますけど、細かいニュアンスがとても難しい。大瀧さん(の曲)は、なかなか手ごわいんです」

——でも、そういうお気持ちはある、ということですね。

山下「ありますよ、もちろん。大瀧さんの曲を歌うのには根性がいるので、そう簡単にはいかないと思うけど、いずれはもっと。大瀧さんの心情吐露がうまく出ている曲、『Blue Valentine's Day』とか『水彩画の町』みたいな曲だったら、果し合い気分抜きで(笑)、歌えるんじゃないかな」

(インタビュー・構成/真保みゆき)