小説はクオリアによって組み立てるもの、というのがわたしの持論である。クオリアとは、生物が体中の感覚器官によって物理現象を感知、情報処理する過程で立ち現われる感覚のことである。例を挙げれば、短調の曲を耳にしたときに出来する感覚がそれだろう。物理現象として理解するなら音波の羅列に過ぎないが、それを受け取ったわたしたちの側が寂しい「感じ」を受け、精神状態に影響を与える。こうした「感じ」を抽出、制御して構築するのが小説なのだろうと思うのである。
閑話休題。ご紹介する『覇王の譜』は、将来を嘱望されながらC級2組で燻り続けていた直江大が、奨励会時代からの同期・友人であり現王座の剛力英明の在り方に疑問を抱き訣別。コンピュータ将棋を志向する天才少年との出会いや師匠との特訓、一癖も二癖もある棋士との対局を経て、剛力と最高の舞台で雌雄を決するに至る、まさに王道の名を冠するに相応しい将棋エンターテインメント小説である。
本作の魅力はストーリー構成やお話の筋にのみ依存するものではない。様々な描写に仕掛けられているリアリティがその魅力を支えている。まず注目して頂きたいのは人物造形だ。上に登ってゆけない鬱屈、変わらなくてはならないと気づいてからの焦燥や逸脱への不安、そして、恐るべき棋士として屹立しつつある己への戸惑いや高揚といった直江の感情の軌跡が丁寧に描かれていることにお気づきになることだろう。この丁寧さは直江にだけ振り向けられたものではない。ライバルである剛力にも複雑な光彩が投げかけられ、主人公の前に立ちはだかるに値する因縁のライバルとしての説得力がきちんと与えられている。こうした人物造形の業がトップ棋士という複雑怪奇な存在を鮮やかに彫塑し、作品を彩っている。
そして、本作のリアリティ構築は人物造形以外の部分でも余念がない。将棋小説にとっての正念場である対局の場面でこそ猛威を振るっているのである。本書にはほぼ棋譜への言及はなく、戦型とその戦型の意味、対局中の棋士が味わう実感や際している景色が辛抱強く、綿密に積み上げられてゆく。おかげで読者は直感的に直江の戦いに寄り添うことができるのだ。仮に読者が将棋のことを一切知らずとも、将棋という戦いの場が放つ芳香、一握りの人間にしか踏み込むことの許されない世界の空気感を追体験できるのである。
いい加減結論を書こう。本作は小説のことばで将棋のクオリアを掴んだ力作なのである。将棋小説の新スタンダードの誕生を喜ぶと共に、緻密に組み上げられた直江や剛力、周りの面々の未来、本来ならば棋士にしか見ることの許されない地平を今後もぜひ覗き見たいところである……、そんな気の早い希望は、いささかわたしの我が儘が過ぎるだろうか。
はしもとちょうどう/1984年、兵庫県生まれ。99年、中学生将棋王将戦で優勝。同年、新進棋士奨励会に入会するも2003年に退会。11年『サラの柔らかな香車』で小説すばる新人賞を受賞し小説家デビュー。他の著書に『サラは銀の涙を探しに』など。
やつやぐるま/1986年、東京都生まれ。2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。近著に『ええじゃないか』。