団欒の食卓がバトルの場に
父の言い分もわからなくはない。何しろ母は森田家の中心だった。家族を守ってくれる太陽のような存在だった。僕が物心ついたときから、母は事の大小を問わず、それぞれの困り事や悩み事をすべて聞き、みんなを元気にして、また学校や勤務先へ送り出す役割を一身に引き受けていた。
夕食時になると、母はごはんを食べながら、僕らそれぞれの話に耳を傾けた。愚痴や悩みを聞き、必要なアドバイスをし、翌日それぞれが笑顔で出かけられるようサポートしてくれた。母は「私の役目はみんなを元気にすることだ」と言って、自分の愚痴や不満は一切口にしなかった。
ところが、その母が人が変わったように愚痴を言う。不平不満をぶつけて父をののしる。これに戸惑うなと言うのも、父にとっては酷な話だ。きれいにしていた母がだらしなくなっていく姿を見るのも、夫としてはつらいことだったのかもしれない。
だが、一方で僕はこうも思っていた。母さんは長年父さんのわがままを受け入れ、時には叱咤激励し、縁の下の力持ちをやり続けてきた。妻として母として、一心に尽くしてきた。その母が言いたいことを父に言ったって、何を構うもんか。
とはいえ、それなりに仲良くうまくやっていた両親がいさかい合うのは、やはり悲しかった。団欒の場だったはずの食卓が、バトルの場になっていくのは忍びなかった。
心のどこかにあった、母の認知症を認めたくないという気持
このままでは父の病気も心配だし、母の心も荒む。そうなれば、家族みんなが困ることになりかねない。取り返しのつかないことになる前に、打てる手は打たなければならない。
僕はここにきて、ようやく母の異変に対する具体策を考えるようになった。主治医と本腰を入れて話し合い、役所なり何なりに相談して、母を施設に入れることも考えなければならないと思うようになった。
しかし、一方でまだ僕の心は葛藤していた。心のどこかで、認知症の可能性を認めたくないという気持ちがあった。振り返れば愚かとしか言いようがないが、僕もまた父と同じく、母の変化を受け入れられなかったのである。