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 一方で、TBSで僕が出られそうな番組は埋まっているけど、他局を見れば色々な可能性も感じたりして。決断するまで1、2年は迷っていたと思います。

 最終的には、フジテレビのウイークデーの番組を任せてくれる話がきて退職しました。

TBS時代の年収が1200万円。フリー1年目で1億円、そして倍々に……

――38歳の頃のお話ですね。独立されて、しばらくは順調だったと伺いました。お仕事も、そして年収も一気に増えたとか。

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生島:ほんとね、お金の話をするのもナンだなと思うんですけど……。ぶっちゃけて言うと、TBS時代の年収が1200万、それが、フリー1年目から億に到達するんです。2年、3年目と倍々に増えていって、10年くらい続きましたね。

 仕事も、司会やインタビューもたくさんさせてもらいました。海外だと、トム・クルーズとかメル・ギブソン、MCハマーに会ったり。あとはゴルバチョフさんや、他にも数々の方とお会いして。もう、ひたすら働きましたよ。次々と依頼がくるので、仕事は尽きないものだと錯覚してましたね。

©文藝春秋 撮影/鈴木七絵

――かなり豪華な面々ですね。ご自宅を購入されたのもこの頃でしょうか?

生島:自宅の一戸建てを約4億で買って、今の事務所が1億6000万。TBS退職前から少しずつマンションを買い始めて、5、6軒。トータルで不動産購入として7、8億円だったと思います。バブルだったので、当時2500万で買ったマンションが7500万。5000万で買ったマンションは1億5000万で売れましたね。不動産は、買えば上がるものだと思ってたんですよ。

©文藝春秋 撮影/鈴木七絵

 ただ、テレビにたくさん出たり、この人儲かってるなって思われると、どんどん色々な人が寄ってくるんですよ。いい人も、そうでない人も。そこにお金も絡んできて……。

「今度は間違いない!」って言われるたびに買っちゃって。

――何かを売ってくるような感じでしょうか?

生島:たとえば大学時代の親友ですね。僕がフリーになって2、3年。たぶん41、2歳の頃かな。今は美術館とかで、イヤホンをつけて音声案内するようなものってありますけど、当時は無かったんです。それを親友の会社が開発して、僕も面白いと思って、西武の方にイヤホンを持って行って交渉したり、金銭的にも協力したんです。彼に2500万くらい投資しましたね。