「チケット転売」などが問題になる昨今だが、平成までにはダフ屋による転売も多かった。そんなダフ屋たちは、自身の裁判で何を語ったのか。裁判傍聴を1999年から続け、これまで約2万件の刑事裁判を傍聴してきた裁判ウォッチャー阿曽山大噴火氏が、傍聴した裁判から振り返る今回の傍聴記。
ダフ屋業で得たお金で年に500本もの演劇を鑑賞し、さらにはその打ち上げにも参加して、「ご意見番」もしていたという被告人。はじまった被告人質問で、売れ残ったチケットを破り捨て過去との訣別を宣言するが……。
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「なぜ、以前一度やめたダフ屋をまたはじめたんですか?」
次は検察官から。
検察官「調書によると、2002年に罰金刑になったのに半年後にダフ屋を再開したと。再開したのはなぜですか?」
被告人「バイトの収入が10万円であまり稼げなかったので」
検察官「同じマンションの別の階に親が住んでいた、と。仕事内容は訊かれなかった?」
被告人「濁してました……」
検察官「仕事見つからないなら、親に頭下げるしかなくなるでしょ」
被告人「はい……。家賃だけお世話になってました」
検察官「さっきダフ屋行為はやめると言ってましたけど、他の仕事やれます?」
被告人「以前ガードマンやってたので連絡してみます」
検察官「6月9日に保釈なので、2週間経ってますけど連絡しました?」
被告人「いや、まだです……」
ホントにやめる気はあるのかどうか……。
「年に500本の芝居を観ていたという話ですけど、チケット代ってどうしてたんですか?」
検察官「年に500本の芝居を観ていたという話ですけど、チケット代ってどうしてたんですか?」
被告人「でも2000~4000円程度です、下北沢でやってるようなものなので」
検察官「犯罪で得た金で買ったんでしょ! 劇団の人が知ったら、これどう思いますか?」
被告人「……恥ずかしいです……」
よく観に行って参加した打ち上げで御意見番ヅラしてた劇団には顔向け出来ないような生活だったのだ、と検察官は指摘して質問終了です。