たとえば、SLの時代には12時間かかっていた東京との往来は、1968年に電車特急が走り出すと4時間30分に短縮。1982年に東北新幹線が開業すると、福島での乗り換えは要するものの、3時間10分にまで縮まった。
そして1992年に待望の“東京直結”山形新幹線。いま、東京から山形までは約2時間30分にまで短縮されている。山形ってなんだか遠そうだな、などという印象を抱いている東京都民の皆さん、実は大阪とたいして変わらないんですよ。
駅前から歩いて行くとみえてくる「山形」の“らしさ”
山形新幹線の開業効果はバツグンで、開業1年の利用者は想定を40万人も上回る約320万人。山形市内の観光やビジネスだけでなく、蔵王方面への観光などにも大いに力を発揮した。いまの駅舎になったのはこの山形新幹線の開業に合わせたものだ。こうして、山形の町は旧県庁舎に並び立つ、いやそれ以上の町の核としての山形駅を手にすることになった。
もちろん、山形新幹線開業からの30年間は、山形に限らずそれほど明るい時代ではなかった。特に駅前や旧来の中心市街地にとっては厳しい時代。郊外に大型商業施設が次々に開業し、クルマは一家に一台からひとり一台に。映画館や百貨店が七日町から姿を消したのも時代の流れといっていい。
ただ、そんな山形も、駅前から七日町に向かって歩くと、なかなかおもしろい町だということがわかってくる。
山形駅前からのしばらくは、ごく普通の地方都市のターミナル周辺の風景でしかないが、七日町に近づけば戦前からのものとおぼしき建物がいくつも残っている。
山形は戦時中の空襲被害を免れた希有な県都。道割りにも町の風景にも、江戸時代から刻み続けてきた都市としての歴史が色濃く残っている。映画館がなくなって旭座跡はただのコインパーキングになっているのはさみしいが、それも歴史のひとつといえばそういうものだ。
そうして町をぐるりと回って文翔館を見学し、山形城跡にも立ち寄ってまた山形駅に戻ってくれば、最初は単なる地方都市の駅前風景と思っていたそれも、刻んだ歴史の主役のひとつに見えてくる。
ターミナルは、着いて降りたときと町を歩いて戻ってきたときで、まったく印象が違ってくる。そんな経験ができる、新幹線30年目の終着駅・山形であった。
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