90歳にして、Twitterフォロワー数19万人を誇る、大崎博子さん。

 趣味は、散歩と太極拳と麻雀。BTSと晩酌をこよなく愛し、都営住宅に一人で暮らす現在のライフスタイルを、「高貴香麗者(こうきこうれいしゃ)」といたずらっぽく呼ぶ。

 夫とは若くして離婚し、一人娘は海外在住。この先の人生について「一人でやっていくしかないと切り替えた」と微笑むが、「ずっと不安だった」とも打ち明ける。

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「一人だからこそ強いと思いますよ」と語る大崎さんに、「一人の老後」を謳歌するための心構えを訊いた。(全2回の2回目/最初から読む

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――大崎さんは、練馬区の都営住宅にお住まいですが、その前は港区の都営住宅にいらっしゃったんですよね?

大崎 20年ほど前に、練馬区に引っ越してきました。港区にある別の都営住宅という選択肢もあったのですが、私一人なので単身者用の部屋に入ることになる。それだとロンドンにいる娘が帰ってきたときに泊まるスペースがないのが難点で。一方、ここは抽選関係なく2DKの部屋に住める。まったく馴染みのない場所に引っ越すことになるけど、条件を考えるとぴったりだったんです。

――豊かな70代を考えたときに、慣れ親しんだ港区を離れてでも練馬区一択だったと。

大崎 そう。でもね、今では練馬がけっこう好きになっちゃった(笑)。近くに石神井公園があるから体を動かすには最適。仕事をリタイヤして時間ができたから、気軽にお出かけできることがうれしいですね。

定年後も働き続けたわけ

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――大崎さんは、70歳まで仕事を続けられたんですよね。

大崎 ええ。50歳から定年までは目黒・八芳園で結婚式の衣装アドバイザーの仕事をして、定年後は70歳までKKR(国家公務員共済組合連合会)の大手町のホテルで衣装アドバイザーとして働いていました。

――大崎さんくらいの年代の女性にしては、珍しいキャリアですよね。

大崎 私は20代で結婚して娘を授かり、それから間もなく離婚して。その後は鰻屋さんでお運びをしたり、姉の喫茶店を手伝ったり、化粧品の営業をしたり。それでもやっぱり金銭的に苦しくて、いわゆる“児童手当”がとても大切なお金でしたから。

――定年後も働こうと思ったのはなぜでしょう?