ただし、スカウトをきっかけに同事務所に入る際には、当時の社長・野田義治から「イエローキャブで初めて水着をやらないタレントとして売り出したい」と約束されていた。実際、高校1年だった1997年にドラマ『踊る大捜査線』のワンシーンに出演してデビューし、初主演した翌98年放送の深夜ドラマ『美少女H』で本格的に演技を経験する。
『美少女H』では共演した余貴美子から台詞回しを教わったり、背中だけで泣ける芝居をするのを見て感動して、もっと芝居の勉強をしたいと思った。しかし、事務所に入ったときはダイエットしてやせていたのが、そのうちにリバウンドで太り出してしまい、ドラマのオーディションもことごとく落ちまくる。社長にも「おまえにはだまされた」と言われ、もはや水着を着るしか選択肢がないという空気になってしまった。
それでもグラビアをやめなかった理由
こうして渋々ながらグラビアの仕事を始め、1年経ってもこの仕事が好きになれそうにないので、もうやめたいと事務所に宣言した。しかし、それまでグラビアに反対していた父から「おまえがどうしてもやりたいと言ったから許したのに、もし、いまここでやめたら中途半端で、今後、何をやっても続かない」と言われ、目が覚める。宣言も撤回した。
それからというもの気持ちを切り替え、あらゆる雑誌に出ることは顔と名前を売るチャンスだと思うようにした。そのころにはテレビのバラエティに出たいという気持ちも強くなっていた。すると意識も「撮ってもらう」ではなく「私が出たことで前号より売れてみせたい」「グラビア誌全部の表紙になって、コンビニに並ぶようにしてやる」というふうに変わり、グラビアの仕事がどんどん好きになっていった(小池栄子『小池の胸のうち がんばるの、やめてみます』実業之日本社)。
グラビアで人気を得ると、念願だったバラエティへも深夜番組を振り出しに徐々に出演が増えていく。バラエティでは、《自分は芸人ではないから視聴者の目線で存在しよう、そう意識し》、つくられた言葉ではなく「小池栄子」として語ることを心がけたという。それに対し、女性視聴者が「いま思ったことを言ってくれた」「自分の代わりにツッコんでくれた」と思ってくれるのが一番うれしいと、かつてインタビューで語っていた(『GALAC』2010年9月号)。
当時のレギュラー番組のなかでも、小池が「好きな番組をいま、何でもやっていいなら、これをやりたい」と前掲のインタビューで挙げたほど思い入れが深いのが、2005年から4年間、爆笑問題の太田光とMCを務めたクイズバラエティ『爆笑問題の検索ちゃん』(テレビ朝日系)だ。