1ページ目から読む
5/5ページ目
笑い飯は桁違いの狂人
笑い飯がまだ何者でもなかった頃、ともに大阪で青春時代を過ごした元芸人の水上雄一は、現在、マッサージ師の資格を取得し、大阪市内にクリニックを開業している。仕事は順調だという。所帯を持ち、小さな子どももいる。
そんな水上の言葉が心にしみた。
「笑い飯さんとおるときが、いちばん楽しかった。芸人を辞めて10年以上経ちますけど、この10年で笑った回数よりも、あの人たちとおった1時間、2時間の方が笑ってたと思います。あんだけ必死に考えて、あんだけ笑って。苦痛なんだけど、楽しかった。おかしいですよね。笑うために真剣に悩むって」
おかしい。でも、ピュアだ。
M-1において、光り輝くネタは、いわば一粒の砂金だ。何百回、何千回と川の砂を皿で掬(すく)い、ほんの一握りの人間だけが見つけることができる。
M-1のために生み出される何千組の、おそらく何万というネタは、毎年、誰にも知られぬままゴミ同然に破棄されていく。人を笑わせることのできないネタほど、世の中で無用なものはない。M-1とは、ネタの壮大な墓場でもあった。
にもかかわらず、漫才師たちは毎年、そこへ向かった。
彼ら、彼女らは、例外なく愚かだった。もっと言えば、狂っていた。しかし、それゆえに、直視できないほどの眩(まぶ)しさを放ってもいた。
そんな中に、桁違いの狂人で、桁違いの恒星があった。
それが、笑い飯だった。