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「M-1で勝つよりも、笑い飯に認めて欲しかった」

 2018年のM-1後、私はこの日のプラス・マイナスのことを『週刊文春』誌上で2週にわたり「敗者たちのM-1グランプリ プラス・マイナス『奇跡の3分』」という記事にまとめた。

 その取材中、関西で青春時代を過ごした芸人の口から、何度も聞いた言葉があった。

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「M-1で勝つよりも、笑い飯に認めて欲しかった」

 笑い飯──。

 わらいめし、と読む。

 短髪で、尖った鼻の哲夫。長髪で、ギョロ目の西田幸治。

 変なネタをする、アヤシげな、あの2人か。

笑い飯の西田幸治(左)と哲夫 ©文藝春秋

 取材をする前まで、私の笑い飯に対する認識はその程度だった。

 それにしても意外だった。

 〇〇に認めて欲しい。それまで、このブランクに入りうる人物は、この世界ではただ1人だけだと思っていた。笑いの神、ダウンタウンの松本人志である。

 だが、違った。

 2000年にコンビを結成した笑い飯は2002年から2010年まで、9年連続でM-1の決勝ラウンドに進出している。「容赦ない」と言われるM-1予選の選考において、空前絶後の記録である。

 そして、出場資格の関係で最後の挑戦となった2010年に悲願の優勝を遂げた。M-1の最初の10年は笑い飯の歴史でもあった、そう言われるゆえんである。

「ミスターM-1」、または「M-1の申し子」と呼ばれる笑い飯は、M-1が生んだ最大のスターコンビと言っていいだろう。

 プラス・マイナスの記事を書き終えた後、『週刊文春』の編集者から「M-1ものの長期連載を」と頼まれたとき、真っ先に過(よぎ)ったのが笑い飯の存在だった。

 笑い飯を中心に据え、M-1の最初の10年を振り返れば「M-1とは何か」「漫才とは何か」、ひいては「笑いとは何か」の答えは、自ずと浮かび上がるのではないかと思った。