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「アレがなければ3カ月で僕は死んでました」…「こりゃ、お手上げ」状態のピストン西沢を、24年間続く長寿ラジオ番組へと導いた“ハイテク機器”とは?

『GROOVE LINE』卒業記念インタビュー♯1

2022/12/03

genre : エンタメ, 芸能

note

言いたい放題だった気がしますけれど、トラブルはありましたか?

――つまり、局内における独立国家みたいなスタンスだった?

西沢 そう。僕はモータースポーツが好きなんですけど、F1のミハエル・シューマッハは、フェラーリが優勝できるまでに、チーム作りと自由な環境作りに5年かけてチャンピオンになった。僕も同じで、約10年をかけて環境を作って、それを活かして好きなことをやってきたんです。

 鈴木亜久里さんだってF1チーム作った時、「もっとレースが見られると思っていたのに、レース中もずっと会議なんだぜ」とぼやいていたし(笑)。そんなチーム作りを新たな環境でまた一からやるなんてまず難しいし、そこに気力も興味も湧かないし。

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©文藝春秋 撮影/石川啓次

――なるほど。

西沢 もっと言うと、僕のなかには、出演者としてワーッとしゃべるピストン西沢がいて、さらにそれをリアルタイムで聴いてどうまとめようかと判断するディレクターとしてのピストン西沢がいて、時には営業として自分でクライアントを取ってきて、スポンサーに配慮するプロデューサーとしてのピストン西沢もいる。

 そうしたいろんなピストン西沢が、0.00001秒おきにバッと入れ替わりながら動いていたんです。だから、一見、自由でバカバカしかったようでも、実は24年間、大きなトラブルはほとんど無かった。

 言いたい放題にしゃべっているようでも、制作者としての僕が「これ以上はみ出したらダメだ」という線引きを常に持っていたからです。僕は別にはみ出て目立ちたかったわけじゃないし、人に迷惑を掛けるのも嫌でしたから。

©文藝春秋 撮影/石川啓次

――だからこそ、番組終了の発表に驚いたリスナーも決して少なくなかったと思いますが。

西沢 実際、番組終了の頃のまでのレーティングも、番組としての予算の収支のバランスも決して悪くはありませんでした。要するにやるだけのことはやっていたので、それでも終わるなら仕方ないし、よほど辞めさせたいんだな(笑)と思いました。

 そもそも無理やり居座っていたので、局の方針と僕自身がやりたいことのバランスを擦り合わせながらやってきたんですけど、徐々に乖離していっちゃったということでは、長くやりすぎちゃったんですね。

 どんな組織でもよくある話で、要は自由に長くやり過ぎちゃったんですよ。ただ僕個人としては、J-WAVEに限らず、ラジオの行く末というか、ラジオDJの現状については自分なりに思うところも幾つかあって。

◆◆◆

 マルチな頭脳で1対1のコミュニケーションにこだわる異色のFM番組を24年半にわたって続けてきたピストン西沢。そんな彼が危惧するラジオの現状とは……?(#2へ続く)

ピストン西沢のツイッターYouToubeチャンネルはこちらからお楽しみ頂けます。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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