障害を抱えた人々の身体感覚の研究などが高く評価される、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の伊藤亜紗さん。新著『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』は、体の観点から、技能習得に秘められたメカニズムに迫った。
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――これまで、障害を抱えた方の身体性など、いわば人が「できない」領域をめぐって研究を重ねてこられた伊藤さんが、今回なぜ「できる」メカニズムに関心をもったのでしょうか。
伊藤 もともとは、「できることは良いことだ」という能力主義的な社会の風潮に抗して、「できない」人だけが知っている価値観を提示するのが、私の研究の役割だと思っていました。実際、障害や病気を抱えた方々にお話を聞くと、たとえば目が見えない人の世界の捉え方や、片手がない人の体の使い方など、非常に豊かな未知の世界が広がっていたんですね。
だから、2017年頃から加わった理工系の研究者たちのチームのテーマが「能力獲得」だったことに、最初は強い抵抗感がありました。
でも、マジョリティの中の「できる」の評価って、つねに他人との比較の中で行われていて、自分の体で何が起こっているのかを案外スルーしてしまっている。能力主義的な比較から解放されたころに体が持っている可能性が花開いていることに気づいてから、研究がどんどん面白くなりました。
――具体的にはどういうことでしょう?
伊藤 できなかったことができるようになる時、そこには必ずパラドックスがあります。
例えば、スケートの4回転半ジャンプを私ができないのは、「4回転半ジャンプをするイメージが頭の中にない」から体も当然できない。でも頭からすれば、体ができないから頭でもイメージできないんだ、ということになります。
鶏が先か卵が先かのパラドックスですが、「できるようになる」には、体がそのジレンマを越えてゆく必要があります。つまり「意識的なコントロールの外に」ふと体が出たときに、「あっ、こういうことか」とできてしまっている。
例えば「逆上がり」や「前回り」を例に考えてみよう
たとえば「鉄棒の逆上がりってどうやるんだろう」「前回りってどうするんだろう」……こういう問いは先に体ができちゃって、意識があとから「こういうことだったんだ」とついてゆく。