「ひろゆき」「座り込み」という言葉がツイッターのトレンド入りする事態に
今回の問題でカギとなっているのは「辺野古基地に賛成か、反対か」「辺野古での座り込み運動に賛同するか、そうでないか」といったことではない。
わざわざ抗議運動の場に出向き、(工事をしている時間帯でなかったために)人がいないことをあげつらって「(自分たちがイメージしている)座り込みをやっていない」「僕たち日本の多数派にも(座り込みは24時間行われているわけではないこと、看板に書かれてある日数が『連続』ではなく『合計』であることが)わかるように説明してくれないと誤解が生じる」だのと屁理屈を並べて、自分たちがこれまで全く関わろうとしてこなかった問題に声を上げ続けてきた当事者に対して、外側から彼ら彼女らの抗議する権利を侵害し、その顔を踏みつけたことが問題なのだ。
にも関わらず、次々と論点をすり替え、番組側の面々が議論のスタート地点にすら立とうとしないあの場で、ひろゆき氏に対して「『俺にわかるように説明しろ』じゃなくてもっと勉強してください」と冷静に指摘した沖縄タイムス記者の阿部岳氏は本当にまともであったと思う。
有識者として招かれた3人がいずれも怒りをこらえつつ、番組側が用意した議論の場に極めて冷静に、真摯に向き合おうとしていたにもかかわらず、結局は誰もひろゆき氏の暴走を止められず、あろうことか彼を擁護し、同調した。さらに暴力的な発言を次々と行なったことは、本当に残念でならない。
そしてこの番組の放送後には、ツイッターでも様々な意見が飛び交い、結果「ひろゆき」「座り込み」という言葉がトレンド入りを果たす事態となった。
しかしながらこの渦中、あくまで「ひろゆき氏や番組の行いは不適切であり、問題があった」と指摘・非難しただけにすぎない人々のことを「左翼(パヨク)」や「活動家」だと勝手に決めつけて(カテゴライズして)、「左翼批判」「活動家批判」をしたい人々がSNS上に殺到。次々と「お前らはいつもこうだ」と罵詈雑言を浴びせる行為が横行した(持論の補強)。
そして、自分たちが「活動家」だとみなしている人々の過去の行いを持ち出しては「こんなことを言いながら、こいつら活動家は金を不正に受け取っている犯罪者だ」とか「自分たちの都合が悪いことを追及されたときはだんまりを決め込んだくせにw」とか勝手なことを言い始めた。
さも今回の件について批判をしているだけの「個人」が、金を不正に受け取ったりだんまりを決め込んだその人物と同一であるかのように、罪をなすりつけて語られる様子は異常そのものであった。