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「2ちゃんねる化する社会」によって危うい言論が影響力を発揮

 彼らは(今回のケースでいうと)「抗議活動をしている人」や「活動家」に対してもともと少なからず偏見や批判的な目を持っていて、今回「何が問題なのか」を考える気はさらさらなく、最初から「ほら、やっぱりこの人たちヤバイでしょ?」という風に冷笑・嘲笑の的にしたかっただけではないか。

 そして反対に、ひろゆき氏とその擁護派を批判したい「だけ」の人々も、彼らを「ネトウヨ」と定義することでいよいよ「あの問題の本質はなんなのか」という部分についてはほとんど注目されず、最終的にいつもの「パヨク」VS「ネトウヨ」論争に帰結してしまっていた。大変残念な結果だったと思う。

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 匿名のアカウントだけならまだしも、実名で顔出ししている著名人を含めたアカウントですらもこのような偏見に満ちた加害行為に加担して互いを貶し合っている。その有様を見ると、これまで「現実世界」では共有をはばかられてきた思想であっても、画面を通してであれば表明する抵抗が薄れたり、仲間が見つかりやすかったりして、歪んだ「連帯感」や「仲間意識」のようなものが醸成されてしまったのではないかと感じる。

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 かつては「ただのネットの書き込み」として相手にされなかったような危うい言論ですら、現実の世界において「相当の価値があるもの」として影響力を発揮してしまっている。この現状は、「2ちゃんねる化する社会」とでも言うべきか。

 なんの努力も行動もせず、他人を蔑み、貶めることで「自分が優位に立っている」ように見せかけ、自尊心を保つのはさぞ楽なことだろう。水は低きに流れ、人は易きに流れる。その快感に依存する人が多いのも、理解はできる。

足を引っ張りあっていると社会や経済の成長は止まる

 生活保護を受給できず生活困窮している人々の問題について論じれば「自己責任、外国人のナマポを許すな」という意見がSNSに溢れ、女性差別の問題を論じれば「クソフェミ」「女さん必死すぎw」などと罵倒される。ここでは書けないような差別的な言葉を投げつけられたりもする。そしてその光景を見ている人たちの中には、攻撃者の差別的な言動や思想が「正しいことだ」と錯覚し、ますますその思想を強める人も少なくない。

 社会に対して何か行動を起こそうとしている人の口を塞ぐのは簡単なことだ。けれど、それだといろいろな不均衡や社会問題はいつまで経っても解決されないままになる。「2ちゃんねる化する社会」が続けば、次の時代へ進むことは非常に困難だろうと思う。