ここで“電車の来ない”徳島駅を舐めてかかった人はあっけにとられ、そして自らの無知を恥じる。敗北を悟る。徳島駅、外に出てみたら、それはまあとてつもなく大きい駅ビルがあって、その上に駅前広場もめちゃくちゃでっかいのだ。
駅ビルはクレメントプラザという商業施設にクレメントホテル。広場はバス・タクシー・一般車がそれぞれきっちり区画分けされていて、駅の向かい側にはアミコという大きな商業ビルが建っている。このアミコは2020年8月までそごう徳島店が入っていたそうで、いかにも百貨店然とした雰囲気の建物だ。
阿波おどりのメインストリートを抜けていくと…
もちろん人通りも盛んな駅前広場から、まっすぐ南西に向かってこれまたとっても広い大通りが延びている。新町橋通りと名付けられているこの道は、片側3車線で中央分離帯には南国風の木も植えられていたりして、立派な駅ビルや駅前広場に負けない圧倒的な存在感。これぞ、徳島の目抜き通りです、といった風格を持っている(ちなみに阿波おどりでもここがメインストリート)。
新町橋通りを少し歩いてアミコの南側に出ると、これまた片側3車線の大通りとの交差点。交差する相手は国道192号といい、徳島市街地を東西に走る大動脈道路だ。
この交差点をひとまず無視し、新町川を渡ってさらにまっすぐ進んでいく。すると突き当たりに大きな山が見えてくる。眉山といい、標高は290m。それほど高い山ではないが、徳島の町のシンボルだ。
そしてそんな眉山のふもと、駅前からの新町橋通りの突き当たるその先に堂々と鎮座しているのは、阿波おどり会館だ。
とっても立派な徳島駅から目抜き通りをまっすぐに、町のシンボルたる眉山に向かって歩いて行けば自然と突き当たる阿波おどり会館。徳島らしさがもう駅前からまっすぐの道の中に詰まっている。
遠方から徳島に来訪し、徳島駅を降り立った人にとって、これ以上ない設計といっていい。狙った通りかどうかはわからないが、実によくできている。
城下町として広がっていった徳島。新町エリアには誰が住んでいた?
徳島の町は、城下町である。江戸時代、蜂須賀氏が治めた阿波徳島藩25万7000石の城下町。お城はちょうど徳島駅の背中側にあって、いまは公園として整備されている。
いまの徳島の中心市街地は駅の南側、それこそ新町橋通りを中心にして、そこから南東方面に向かって広がっている。“新”とつくから最近になって生まれた新しい町なのかと思いこんでしまうがそういうことはないようだ。