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人口規模以上に大きな「徳島」を支えるもの
徳島駅を開いた徳島鉄道は、明治後半に設立されたいわゆる私鉄のひとつだ。この時期の私鉄は、各地域の有力者たちが出資者に名を連ねる。
武士の類いは華族になったお殿様など一部を除いておカネがなくて貧困にあえいでいたご時世。とりわけ特産の藍の商いもあって商都として栄えていた徳島においては、商人の力が強かったのだろう。そしてそれが、徳島駅が近代以降の新たな“城”として、繁華街に向けて堂々とそびえ立つ理由のひとつなのかもしれない。
徳島駅は、JR四国の駅の中では高松駅に次いで2番目にお客が多い。人口規模では松山・高松・高知の各県都の方が徳島を大きく凌駕している。なのに、松山駅や高知駅より徳島駅の方がお客が多いのだ。電車が来ないからといって侮ってはならない(ちなみに高知駅もJRの列車は電車ではない)。
松山も高松も高知も、中心市街地はターミナルから離れた場所に広がっている。頑張れば歩けなくもないが、歩くとちょっとキツいくらいの距離だ。
それが徳島では、駅前から10分も歩けば繁華街。この差が、徳島駅のなんともいえない存在感につながっているのだろう。電車が来るか来ないかは、この点においてたいした問題ではないのである。
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