薬物の入手経路をめぐる言い訳
薬品について、山代と織原の間ではこんなやり取りがあった。
「あんたの部屋から大量の薬品類が出てきたが、どこから買ったんだい」
突然本題に触れられ、織原は準備ができなかったのだろう。口をモゴモゴしながら考えている様子だった。
山代は、織原がどう言い繕うのか興味があった。
「……私は不眠症なんです。大学時代からずっと続いているんです。それで友達に買ってもらったんです」
「ほう、誰にだい」
「慶應大学医学部の友達で、鈴木という人に頼んだ」
「いつ頃だ」
「私が慶應大学法学部3年の頃だったと思う」
「どうやって買ってもらったんだ」
「医学部の鈴木君が、研究材料として大阪の製薬会社から段ボール箱単位で買って、それをもらった」
「エーテルやクロロホルムは何に使った?」
「不眠症治療研究のためです」
何をいても言い訳は子供じみていて、明らかな事実であっても、すべてにおいて言を左右にして認めようとしない。例えば、赤色の物を見せると、赤ではあるが黒ずんでいるので赤とは言えない、といったような言い訳を繰り返す。山代は、織原がどうしたらそんな言い訳を考えつくのかと呆れてしまうほどだった。
少し織原をからかってやろう。山代は攻め方を変えた。
「慶應大学法学部と医学部では余り交流がないんじゃないのか」
「そんなことはありません。同じキャンパスで部活やコンパもあるんで、知り合うきっかけは幾らでもあるんです」
薬品類の購入経過は捜査ですべて判明していた。織原の噓はとっくにバレていた。
押収した薬品類のエーテルやクロロホルムなどは、2つの段ボール箱に入っていたが、底のほうに荷札があり、送り先として「慶應医学研究会 御中」と記載されていた。
調べてみると、送り主は大阪市東区道修町にある製薬会社。昭和60年11月以前に発送したものであり、織原は、吸入麻酔剤などで知られる薬品を、事件発覚以前から所持していたことが認められた。
これらの捜査結果を、取り調べ連絡室で聞いた山代は、織原に再度詰問してみた。