人の命を救うことと、心の支えになることは同じこと。かつて統幕の災派班で自衛隊の災害派遣任務をつぶさに見つめてきた吉田にとって、ブルーインパルスの飛行はその延長線上にあった。防衛省の災派の記録にブルーのフライトはもちろん含まれない。だが、彼らが飛ぶことで生きる勇気を奮い起こす人たちがいるのであれば、ブルーインパルスを飛ばすことは、嵐に翻弄される人々に救難ヘリコプターを出動させるのと変わりはない。
空飛ぶことに憧れを抱く気持ちはヒトの脳に刷り込まれているのかもしれないが、ことブルーインパルスには物事をエモーショナルに化学変化させてしまう力があるようだ。
人はなぜブルーインパルスに感動するのか
園田はこう述べる。
「ブルーインパルスって、いってみれば煙を曳いて上空を飛んでるだけなのに、なんで見上げただけであんなに感動できるのか、僕らも不思議でしょうがないんです。でもたぶんそれは、パイロットだけでなく整備員ほかブルーインパルスをサポートしてくれる様々な人たちが、よりよい曲技飛行を常に皆に届けるっていう、ひとつの目標に向かって全力で集中するから、だからあのスモークが人を感動させるんじゃないかなって、思ってるんですよ」
空幕長の丸茂からブルーの感謝フライトを検討するよう指示された吉田ら空幕広報室の面々は、東京上空を筆頭案とし、札幌、名古屋、大阪、福岡など、感染状況の厳しい大都市圏での飛行計画を添えて丸茂に決断を求めた。
「ブルーインパルス機の器材繰りの事情もあって飛行は1回のみ。国全体を覆っていた閉塞感を振り払い明るい気持ちになってもらおうと思ったとき、やはりより効果的な東京上空を飛ぼうと、さほど迷わず決心しました」(丸茂)
丸茂はいくつかの条件をつけた。まず「密」を避けるため飛行計画は直前まで秘匿すること。その代わり、人々が仕事の手を休めるランチタイムに、なるべく低い高度をゆっくりと、そしてスモークを出しっ放しで2周飛び、ブルーインパルスを知らない人にも見てもらえるようにしようと――。
日程はタイトだった。緊急事態宣言が解除されるのは5月25日の見込みだったが、ブルーインパルス機を六機揃えられるのは5月末まで。つまり実施可能なのは25日から31日までの1週間にすぎない。